2008年08月23日

一体どっちが知的障害なのか

時事通信記事より

知的障害者らに暴行、強盗=容疑で少年8人逮捕-「いじめて何が悪い」・警視庁 

知的障害者の男性(21)らに暴行して現金を奪うなどしたとして、警視庁少年事件課などは22日までに、強盗や傷害容疑などで、東京都青梅市に住む無職少年(16)ら8人を逮捕した。8人は14~16歳で、事件当時13歳だった少年(14)を児童相談所に送致した。

知的障害のある高校1年の男子生徒(15)にも暴行しており、少年らは「自分たちより力の弱い相手を狙った」と供述。無職少年は「いじめて何が悪い」と話し、反省の様子を見せていないという。
(2008/08/22-13:27)



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三重県をこういった町にはしたくないものです。しかし、他人事と言ってはいられないのかもしれません。学級崩壊などもいくつか起こっているのが現実です。

上記事にはありませんが、この少年らがしたことの内容は卑劣です。ここのブログではその辺は書きたくないので、気になる方はお調べください。

いまさらながら、、、
一体「まとも」「健常」とは何なのだろうか。加害少年らは一見普通の健常な子供です。

なぜこんな思想を持ってしまうのだろうか。
特にこの年代には特徴的に表れる攻撃性みたいな部分があります。僕がこの年代の頃にも、いじめなんてのはありました。しかし、これはいじめというレベルをはるかに超えてしまっている。

いじめに対する強烈な抑制の反発なのだろうか。

自由に優しく、子供のしたいことを優先に、やってきた時代の傾向です。




病気とは何なのだろうか。。。 なにをもって知的なのだろうか。。。


教育の目指すべきは一体何なのだろうか。
幼児教育の段階から、何か考える必要性に迫られています。

行政関係者の方々、よろしく頼みます。


そしてこいういった事件ニュースは事の重大さとは裏腹に、まるで湯水の如く人々の脳裏から消えていく。。。日々洪水のように押し寄せてくるニュース、話題。

CMを見ているかのごとく感覚で、大切なものも、まるで大量消費の物質のように。。。

まるで自分には関係ないから。。。これが社会の病でなくてなんなのだろうか。face07

旨いものを食い、楽しいことに夢中で。さわらぬ神にたたりなし。。。楽しければ良し、なのだろうか。





  一体僕らはどうしたんだろう。。。 icon11








(追記)

女子誘拐監禁コンクリート詰め殺害事件を覚えているでしょうか?
あんな凶悪な事件はありません。

あまりの事件だったこともあり、忘れてはならない事件として映像化もされました。

犯人の少年ら、その後どうなっているか知ってます?、、、ネットの情報社会はすごいですよ。
犯人の一人はその後も再犯で捕まっているようです。

しかし、子供だけの問題ではありませんから、子供もまた犠牲者とはよく言われることですが・・・
しかし、罪を犯したのは当事者であり、事実です。少年法の意味はあるの? 


(もう上記事件の加害少年らの素性も2チャンネル等でばら撒かれています。)  

Posted by ゆるり at 15:27Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年08月04日

映画「闇の子どもたち」



オフィシャルサイト http://www.yami-kodomo.jp/

江口洋介、社会の闇から「逃げられない」とポツリ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=565985&media_id=54


スゴイ映画になりそうです。
ドキュメンタリー映画などでは、わりと見られる類の映画ですが、メジャーな役者さんを起用してのメジャー映画となると、衝撃作品になるでしょうね。絶対的にリアルではない部分があるわけで、ドキュメンタリー性を重視してるのかエンターテイメント性を重視してるのか、どこまで表現するのかが興味のあるところです。

普通の映画としてみたときに、こういったことをあまり知らない人が見るとどのくらいの衝撃を受けるだろうか。逆に普通に映画として見られた場合、ただのホラー映画的になってしまうのだろうか。

ゴミ山で生活する人々のドキュメンタリー映画を見たときも、アフリカの裏社会のドキュメンタリー映画を見たときも、演出とかがない分リアルさがあって相当の衝撃を受けましたが、見たことのある役者たちで演出的なカメラワークがあってというと、事実というより、やはり作られた映画として見ることになってしまうのだろうか。


タイに限らず、インドやアフリカ南米など貧しい国々のさらに貧しい人たちの中でよくある話です。かつては日本も近いものがあったのではないでしょうか。インドの乞食層などでも物乞いをするために、物乞いとして効果的に見えるように子どもに障害を持たせたりというのもあるそうです。

ポルポト政権などに見られるような教育によって、危険思想でもって支配してしまうということも、こどもにとっては。闇の部分になるのかも。


う~ん難しいなぁ、これも生きる知恵と言えるものなのだろうか。


タイって結構仏教国なのに、妙に血生臭い所があるんだよなぁ。
それにタイの売買春に関しては結構日本も絡んでいたりで、売春ツアーなんかも問題になったなあ。。。

金か~。。。

マルクスは100人いて10人が食えなかったら、90人が少し我慢をして10人に分け与えることを提唱したようですが、資本主義のある部分は、とにかく欲しいやつは欲しいだけ得ろと、得られれぬやつは知らんと。。。

貧しくても子どもには闇だし、豊か過ぎても闇になるなぁ。 そして子供は大人になっていく。。。


しかし、これ見て「かわいそう」とか「ひどいなー」とか思えるのも今のうち、ってことにならんことを祈りたい。




全然はなしは飛びますが、、、
テレ朝「開局50周年記念特別番組『原爆』~63年目の真実~」をみた。何で今まで、隠し続けていたのか、なんで解禁になったんだ?
日本の原爆製造計画には驚いた。結局情報リークで先越され負けたみたいなもんだけど、ひょっとすると日本が最初の原爆攻撃をしたかもしれない。
ってか、これは社会の授業でやるべきだと思うぞ。 まあ隠された部分を言い出したら、すごいことになるんだろうなあ。
結局アメリカの骨抜き政策か。。。?

戦争には負けたけど、日本はかなり優秀だったのですよって、教育再考あってもいいんじゃないの?。
ちょいと過激発言!?face06  

Posted by ゆるり at 09:52Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年08月04日

これはアカン!?

ネットニュースで、こんな記事を見つけた。face07


あくび児童に「包丁で刺すかも」=授業中の注意で小学教頭-宮城
(時事通信社 - 08月02日 18:01)


宮城県美里町立中埣小学校(児童133人、舘内充校長)で6年生の授業中、男性教頭(56)があくびをした児童に注意した際、「包丁で刺すかもしれないぞ」と発言していたことが2日、分かった。

学校と町教委によると、教頭は7月1日、担任の代役で5時間目の国語を教えた。児童数人があくびをしたのを見て、「授業中にあくびをする者に真剣に教える気持ちになれない。ここに包丁が3本あるとしたら、そのうちの1本で刺すかもしれないぞ」といった趣旨の発言をした。

注意された児童の保護者が学校側に抗議。校長と教頭が謝罪し、同月3日には教頭が6年生全員に謝った。教頭は「頭に言葉が浮かんできて、『刺されても仕方がない』という意味で言ってしまった」と話しているという。 


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>教頭は「頭に言葉が浮かんできて、『刺されても仕方がない』という意味で言ってしまった」と話しているという。 


一体どういう言葉が浮かんできて、そういう意味に至ったのだろうか。。。
小学生相手に、それも教頭が。

この記事だけでは実際の状況や情報が少ないので、一方的な判断はよろしくないと思いますが、それにしたって、、「包丁で刺すかもしれないぞ」はアカン。冗談にしても、立場が立場だけにまずい。


それにしても教育の問題も後を絶たない。不正やら猥褻やらなんやら。。。なんなんでしょ、これ。

いま教育者が大変なのもよく聞きますが、こういうことがあっては生徒が荒れるのも無理ない。

僕が小学校の頃は、体罰が今と比べて多かったけど、「刺すぞ」とかはなかったなぁ。
よく叩かれたなぁ。。。face07
あれはあれでコミュニケーションみたいなもので、慣れてたな^^;


教育者への教育が必要ではないのだろうか。そもそも教育って、ある内容だけやればそれで良しってものではない。モラルというような部分も選考基準として必要になってくるのかも。

「授業中にあくびをする者に真剣に教える気持ちになれない。。。」というような、上から目線ももう少し考慮した方がいいのではないだろうか。まあ、逆にあまりにも馴れ合いな友達先生みたいなのも、どうかと思うのですが。。。

しかし、教師への批判もさることながら、教師たちの心の問題も多く、大変なことはお察しします。


いまの教育現場も学級崩壊など相当ひどいものもあるらしいから、そういったことが今回の内容の裏に潜んでいるのかもしれない。記事内容だけ見るとひどい教育者の話のようだが、その全体像を考慮すると、あながち一方向的な問題ではないのかもしれない。
マスコミは、報道として情報を出すなら、もう少しきちんとした内容を伝えるべきであるとも思います。


にしても、この言い方は考えものです。


>先生たちの心のケア、先生にだって癒しは必要です。疲労が溜まると良き先生の考えも上手くまとまらなくなってきます。お気軽にご相談ください。  

Posted by ゆるり at 00:45Comments(4)TrackBack(0)Essay*

2008年07月20日

字源



普段なにげに使っている文字。
日本人だから日本語を学び使っているのは当たり前。

でも、この日本語ってなんだろう、、、って思ったことないですか?

私たちの言葉のルーツは、漢です。漢字です。
そもそも日本人のルーツ、それを探るのは面白いのですが、ホントいまだ良く分からない。
この日本というさほど大きくもない島国で、漢が公的文字となるということは、此処には元々ほぼ漢人が住んでいたのか、それとも別の種族がいたけど漢人が侵略してきたのか。。。
最終的にかどうか、ともかく漢字が普及するわけだけど、それまでは何語だったのだろうか。。。考えてみると面白い。
一体どういった人の流れ歴史が刻まれてきたのだろう。

言葉は文化やその時代背景を反映します。漢字から、ひらがな、カタカナと変貌してきます。その中にはいくつもの時代背景があって、色んな主導権争いもあり、文化的なブームみたいなものもあり。今現在はミックスという面白い使い方をしています。これって世界的に見ても、すごいことではないでしょうか。日本人の多様性がうかがえます。あたまいいんですよ^^

そして、ギャル文字の普及は進むだろうか^^

まったくばかげたというか(^^;、しかしながらギャル文字というもの相当なもので、文字そのもの解体や変容といった、この発想はすばらしいですね。文字という概念そのものを打ち崩す、、、もともと文字の発想なんてこういったことの繰り返しだったのではないだろうか。

↓ギャル変換
------------------------------------------------------------------
маッT=<レ£〃ヵゝレナ〃T=`⊂レヽぅヵゝ(^^;、UヵゝUTょヵゞら≠〃ャ儿文字`⊂レヽぅм○σ相当Tょм○στ〃、文字ξσм○σ解体ゃ変容`⊂レヽッT=、⊇σ発想レ££レ£〃らUレヽτ〃£Йё★文字`⊂レヽぅ概念ξσм○σを打ち崩£、、、м○`⊂м○`⊂文字σ発想Tょωτ⊇ぅレヽッT=⊇`⊂σ繰レ)返UT=〃ッT=στ〃レ£TょレヽT=〃Зぅヵゝ★
UヵゝUナょヵゞら、こσ勹〃ュレ文字`⊂レヽぅσも相当ナょもστ〃、文字そσもσσ解体ゃ変容`⊂レヽッナニ、こσ発想はすは〃らUレヽτ〃すЙё。圧巻τ〃す。
-------------------------------------------------------------------

って読めるかっ!><;  こんなん読むんだからすごいよ、ぎゃる^^;  って、ほんまに読んでるんか?

※「半角カナ禁止!!」




で、まあ、それはともかくとして… (^^; (←こういうのも文字ではないがスゴイ発想)


で、この漢字というものはアルファベットとは違い、その文字そのものに意味があります。こういった字源というのは案外知らないもので、知ると想像を超えた意味から成り立っているものが多く、結構知ると成り立ちが恐いものがあって、こんなの知らずに使っていたのか~ってびっくりします。

どっちかというと恐いものが多いかも。。。
この字には、そういう歴史があったんだな~と、考えさせられます。やばすぎて小学校の国語では習いません。

その中でも、特に気になっているのは「民」という字。

めちゃくちゃに見慣れた文字です。しかし、その意味には恐ろしい歴史が隠されています。

ウィクショナリー日本語版

確かに、これは今ではただの文字に過ぎませんが、無意識にこの文字の持つ波動を受けているかもしれません。今も尚、私達のほとんどが「民」のままであるかのようです。
この字に関しては、何か違うものを考えたい気持ちです。

同様に、「女」のつく字も様々なドラマがあったことを彷彿とさせます。
ホラーかパロディか。。。いつの時代も「女」の影響は強かったのでしょう^^;
好きにもなり、嫌にもなる。  

Posted by ゆるり at 17:32Comments(2)TrackBack(0)Essay*

2008年07月15日

続・音と波動と曼荼羅と

音と波動と曼荼羅と」の続編ということで。。。

前記事の中に組み込んでいた映像、とても面白い映像で驚かれた方もおられたと思います。音の振動がああいった形に変化していく姿は見ものです。あれは一体なんだろうか、、、何だろう。

他にも色々な形があるようです。

Sand patterns as a function of the size of the plate


これらはクラドニ図形と呼ばれるもので、「音響学の父」とも呼ばれたドイツの物理学者クラドニによって18世紀末に発表されたそうです。薄く砂をまいた皿の側でバイオリンを弾き、砂が複雑な幾何学模様を描く事で、「音波は物体を動かす」ということを証明したそうです。 このとき立ち会っていた、かのナポレオンも驚きのあまり、背が少し伸びたとか。。。face08 uso.uso.


のちにスイスの科学者ハンス・イェンニにが、薄い金属板の上にさまざまな周波数の音を発生させ、液体、固体、粉末などさまざまな周波数が与える影響を実験し、クラドニの実験を検証したそうで、前記事の映像は、この実験のようです。


液体の実験は、こちら





さらに、、、英語ですが、色々な実験の様子をまとめてあります。内容的には、振動によって宇宙やすべての現象が出来上がっているといった、波動世界のことを語っているようです。波動がいかに重要か^^



不思議でしょう。何回見ても面白い。

2次元の平面だけならぬ、3次元にも影響してるわけで、それならば4次元にまでも影響するということだろうか??しているとすればどんなんだろ・・・想像も及びませぬ。。。
波動の影響のすごさを、改めて実感するのであった。。。

人間の各細胞や器官にもそれぞれ固有の振動があり、その固有振動に乱れが生じたとき、異常が現れてくるので、細胞や器官が本来持つべき正常な振動を与え、共鳴させることにより、治癒力を喚起させ健康体に戻すという波動療法の考え方は、すごい!! 

波動療法、ぜひお試しください。お気軽にご相談ください。


曼荼羅に見られる図形は、銅鑼もしくは太鼓のような楽器またはピッと張った皮などの上に、細かい砂のようなものが乗っていて、祈りの発声によってその振動が伝わり、図形を作っていたのを見つけ、これは神の表れだと表現することになったのではないだろうかというのが瞑想で得た勝手な考察だったのです。face07

しかし調べてみると、イェンニも研究を進めた結果、古代のヘブライ語やサンスクリット語の母音を発音すると聖なるシンボルが形作られるということを発見しているようなのです。face08
曼荼羅に限らず、古い教会の壁画などにも幾何学模様が見られます。宗教的なところには、何かこういったものが見られます。どういう経緯で伝わったものなのか、それともシンクロニシティのなせるものなのか、まだまだ興味は尽きません。
瞑想にはまずでてくる言葉、「オーム/OM」という発音は、すごいパワーを秘めているようです。(オウム真理教とは関係ないです) 
現代言語ではない古代言語の方が、こういったシンボルを作りやすいという研究報告は面白い。
たしかに、古代の発声に関して、独特の共鳴をもたらすことは多いようです。究極はホーミーというモンゴルの発声法でしょうか。研究では現代言語の発音では、形が崩れるそうな。。


音というのがいかに、すごい影響を持っているか、そしてそれらによって私たちは健康面でも影響を大きく受けているのです。緊張も弛緩も、音のさじ加減一つといっても過言ではありません。

普段何気に口から漏れている言葉ですが、言葉には言霊なるものがあるというのは、聞いたことがるのではないでしょうか。よい言葉を使うというのは、身だしなみというよりは、健康のためといったほうがいいのかもしれません。

実際、母音である、あ、い、う、え、お、これらは、それぞれの共鳴部位が違ってくるようで、それらの響きを意識しながら、発声するだけでも良いヒーリングになります。

良い声というのは、良い響きです。響きを大切に。。。  

Posted by ゆるり at 18:44Comments(2)TrackBack(0)Essay*

2008年07月10日

健康情報vsホリスティック?



引き続きというか、似たような話ですけど。。。




フードファディズム(food faddism)・・・

・食べものや栄養が健康と病気に与える影響を「過大」に信じること。

・科学が立証した事実に関係なく何らかの食べものや栄養が与える影響を「過大」評価すること。


「あるある・・・」に関しては、番組の打ち切りなどもあり、ご存知の方も多いと思います。
やはりテレビの影響力ってすごいなって思います。それだけに、注意しないと恐いのですが。。。

「番組でこういうのをやっていた、これがいいらしい、あれがいいらしい、これをすると健康になる、あれを食べると健康になる、、、もうこればっか食べとるから、、、」などと、年配の方で、いまだによく言われる方がみえますが、ちょっと心配になることもあります。face07

こういう番組のつくりで多いのは、言い切り。確定ではない情報なんかも、言い切るようで。確かに確定かどうかは、難しいところですが。。。

たしかウコンでも問題になりました。もともと肝臓が悪く、肝臓にいいからと過剰に摂取した結果、逆に肝臓をやられてしまったり。。。という話もありました。受け手の問題というのもあります。
食品などの場合、その成分なんかが取り上げられて、それがどうだこうだという。もちろんそれはそれで意味があって、良いものとは思います。
実際的な成分と、その成分による影響については、別のものでもあり、主には動物実験の結果やそういうのであって、実際のデータは曖昧なものも多いようですし、動物実験での摂取比率から算出したりのデータでは、本来の意味かどうかは分からないものと思います。個人差もあるし。。。
少量なら免疫に成り得ても、過剰に摂取すれば明らかな毒になってしまいます。そういった、ボーダーラインまで情報として必要なのではないでしょうか。

もちろん、悪いことばかりではないし、食を意識するきっかけとなっていいのだけれど、多くのデータを踏まえた上で、製作してもらいたいものです。
また、ウケを狙って番組の演出があるとしたら、こういうところに演出を持ってきたら、かなり問題です。捏造はいけません。こういうところもテレビなどの媒体の恐いところです。


僕は科学者でもないし、こういった情報には踊らされる側ですが、仕事柄もあり色々な情報を調べています。一体どれが本当なの?と思ってしまいます。気をつけたいものです。

自分の考えには、科学的なものも大切だけど、「科学の立証した事実=真実」のような点においては、ちょいと同意しかねますけどね…
食には成分に意味があるのではなくそれぞれの波動バランスがあって一つの食材として意味があり、成分以外にも科学などで計り知れないものがあるという考えがあります。(まあこれも、曖昧なとこですが^^;)
栄養成分などだけで見たら、今の食生活は、昔より丈夫になって当たり前なはずなのです。


まあ、ほどほどですね。「なんでもやりすぎると毒になるよ」です。face01



見る側も、それを踏まえていく必要があるように思えるが、そこは難しい。エンドユーザーの難しさかもしれません。こういう部分も踏まえていくということは、混乱してしまうことになってしまいますが、こういう事実もあるわけですね。



心身には、いまだ未開な領域があって、怪我などの直接的な問題とは違って、病気などの諸症状には色々な要因があって、その状態が表れているものでもあり、「これ」というような特定の原因はなかなか分かりにくいものではないでしょうか。
ホリスティック・ヒーリング的に考えると、何をどうすれば良くなる、「これ」をすればいいというような、一つの答えがあるものではなく、「納豆を食べたらやせる」というような答えはないものだと考えています。


   

Posted by ゆるり at 21:36Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年07月09日

表か裏か真ん中か ECO編



最近考えることがあります。

どの番組でも、エコエコエコ。 環境派の私としては、エコは大事だと思います。
しかし、なにかヘン。

学者・研究者の間でも賛否両論を唱えている、にも関わらず、ほとんどのテレビ番組は危機性の方を指摘している。面白おかしく、時にはシリアスに。

本当のエコを環境を考えるというのどういうことなのだろう?


まずここ


トンデモ系の部類にされてる、武田博士ですが、こういう情報も、もっとクローズアップされなければ公平とは言えない。メディアはもっと、その部分の論争を伝えても良いのではないだろうか。


注目の洞爺湖サミット。。。その行方は。。。


なぜ日本なのか?それって誰のお金ですか?
ちょっと、英文を訳しているうちに間違ったって@@; それって、ありなの?


チームマイナス6%、わたしも、賛同し、参加しました。



この番組は、ちょっと稚拙というか、この映像がうまく表現してる?^^
この手のものは多い。


あまり気にせずに見ていると、「うんうん」と同意してしまいそうだけど…よく聞いてると、おかしい。
確かに、問題の指摘ポイントがおかしいと思う。
傷ついたペンギン、、、ゴミや温暖化との関連すら分からない。こんな傷つき方は、落ちたり転んだくらいでつかないだろう。おそらくアザラシなどに襲われて逃げ延びたのだろうと、思うのだけど。。。
見た目重視か^^; これって、ダイエットのビフォアフの心理と変わらんのではないか?
で、こういう事言いつつ、商品CMが入る。。。大型の車とか。。。エコ○○とか。。。


海外メディアも、



もちろん環境の変化は事実だと思う。しかし、人為的なものであるのかどうかは、確定的ではない。
自然的な影響なのかもしれないのに。。。

環境問題が大きく取り上げられ、環境に対する意識が高まってきていることには嬉しく感じています。
しかし、実際さまざまな情報があるのなら、ある程度公平に考える必要があるのではないかと思います。逆に隠される情報があるのなら、それは問題だと思います。

私たちエンドユーザーとしては、信頼できる情報というものが欲しいと思うけど、実際得られる情報は一握りで、今、選択肢があまりにも一方向に向かわされているように感じる。
故にエンドユーザーなのかもしれない。。。あとは信じて何をするかということになるのですが。。。ただ闇雲に動かされてるかもしれないのは、危険なのではないだろうか。

エンドユーザーとして、本当のエコを環境を考えるというのどういうことなのだろう?



もう数年前から、ポールシフト説(極反転説:地球の磁場が不安定になり、NS極が入れ替わる現象、実際に地球では数回ポールシフトが起こっていることが検証されている)のことも言われているし、映画「デイアフタートゥモロー」に見られる、温暖化とは逆の冷却化もある。そういった情報も、いくつかの裏の情報としては存在してるけれど、仮説でしかない。温暖化もある種の仮説からなっているのだとすれば、本当の意味は何なのだろうか。

歴史教育だって、今と昔じゃ変わってきている。僕が習っていたのは、何だったんだ。。。今、僕の一部の歴史情報は、間違いなのだ。。。ってこれは関係ないけど。。。


ヒーリングブログとして、あまり健康などに関わりが無いような部分ですが、結局健康などにも深く関わってくるところです。  

Posted by ゆるり at 17:08Comments(2)TrackBack(0)Essay*

2008年07月01日

音と波動と曼荼羅と

波動と一言で言っても、なかなかどういうものなのか掴めないものですが、波動とはその字の表す通り、波の動きとなります。波の動き、それは周波数に見られる振動運動を指しています。

周波数と聞いて連想されるのは身近なところでラジオに代表される電波ではないでしょうか。
もっとも身近にある「色」も「音」も、周波数で表される同じ波動ファミリーです。その理屈を考えると、とーっても難しいものになります。僕も理屈的には詳しくないので、雰囲気で読んでいただけると幸いです。

「色」は、光の周波数帯です。見える色というのは、虹のようなカラースペクトルにみられる、ある特定の周波数域のことです。だから、電波のような周波数域は見えません、電波は目が識別できる周波数域ではありません。
光というのも光粒子という振動体から出来ているとされていて…波動(電磁波)です。
見えている色は、物の性質に応じた特定の波長のみが反射され、それ以外は吸収されるので実際の色ではなく、本来の色は分からないという、なんとも不可解なもの。光そのものに色という性質はなく、脳が色を作っていることとなります。いかに見えるということがややこしいか。。。^^;
このへんは、気の世界にも関わってきます。



「音」は、空気中を伝わる振動のうち、人間の耳で識別できる周波数域を一般的な音として捉えています。空気以外の気体・液体・固体によっても、聞こえる範囲は音となります。この周波数域を目で捉えることが出来れば、目で音の色を見ることになるのですが、とりあえず考えにくいものでしょう。しかし、極稀に脳の知覚伝達の影響で、そういう同期があるようです。


有名な物理学者が「すべては波動から成り立っている」というのも、まんざらでありません。
ドイツ振動医学・波動療法というのは、そういった観点で考えられています。だから、心の世界のような見えない部分も肉体も同じようなものとして捉えています。「気」もまた似たようなもであるし、思考や感情なども周波数・波動として捉えられるのは不思議とも思いますが。

色や音やそういったものが癒しになる、、、その意味は、私たちも波動の集合であり、それぞれの持つ波動にあるのです。それは共鳴現象という理屈からなっています。
それらはまた。。。


振動世界には面白い性質があります。
波動の集合が世界の現象であると、言えるかも知れません。

この音の世界、どこかで見たことがありませんか?




見える、聞こえる範囲というのは、人によりまちまちなものです。

見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる、、、、そう、そこに真実はないんです。  

Posted by ゆるり at 18:20Comments(2)TrackBack(0)Essay*

2008年06月30日

愛のちから

When the "Power of Love"

overcomes the "LOVE of POWER",

the world will know PEACE... - Jimi -



「愛の力」が「力の愛」を超えるとき、世界に平和が訪れる  
                           -ジミ・ヘンドリックス-






この言葉の持つ意味は、真実。。。


私たちの知り得る情報は、真実の中のほんの一握りでしかないかも、

知れない。。。

一握の砂。。。真実の愛は一握できない。

  

Posted by ゆるり at 19:42Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年06月29日

愛と躾と虐待と [考察]

ETVワイド 6月28日(土) 午後8時~10時 「子ども虐待」

http://www.nhk.or.jp/heart-net/wide/index.html


う~ん、やっぱりなんとも難しい話しだなぁ。

少し長文になりますが・・・icon10


虐待にも色々なケースがあって、一概に言えるものではないのですが、虐待する、してしまう方の多くは、過去に自身も虐待を受けていることが多いんですね。本で読むことはあります。
ぼくも虐待の話は身近なところでも聞きますが、実際そういう方と話した事はありません。番組に出てみえた方のように、本人に自覚があり、駄目と思いつつも虐待してしまうという方がおられ、不思議な感じがしました。意識層ではなく無意識層での行動ということになるのだろうか。
虐待という行為は、ある種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と捉えることができるのではないかと思われた。厳密にはPTSDの定義とは異なりますが、虐待行動が過去のフラッシュバックから引き起こされているとすれば、ただ単なる攻撃衝動とも言えないのではないだろうか。。。


番組には、虐待をする方々、そして虐待されてきて精神の障害を持ってしまった方々との2パターンがありましたが、それぞれ個々で見ると、その問題は個々の問題のようですが、過去現在未来という連鎖的な流れが見て取れました。

虐待をしてしまう方を見て感じるのは、もちろん個人が起こす問題なのですが、個人の問題だけではなく、その個人を取り巻く環境やパートナーの在り方、さらには社会全体や時代的背景など、さまざまな要因が絡み合って出来た大きな問題であると思います。
全く理解できない、というものでもありません。その背景なんかから考えると分かるような部分もあります。そうならざるを得ない状況だったのでしょう。全くもって、身勝手な虐待もありますから、番組に出演されていた方達は少し違います。

虐待を受けてきた方々の話は、そりゃ精神的に参るわなぁという、明らかに事件性あるやんって思えるレベルの事柄でしたが、身近に聞く話とかだと、直接本人から聞くわけでもなく、判断もなかなか難しいレベルだったりで、直接こっちからなんだかんだ言えることもないわけで、それでも結局子どもらは成長していく。

これらの問題はすっごい微妙な問題で、大問題になって気づくことが多いから、その対処というのはかなり難しくなるだろう。


虐待といっても、暴力だけが虐待ではなく言葉というものもあるわけで、そういった範囲まで広げると、もう、どんだけ~face08なこととなります。番組の場合は分かりやすいものが多かったが、虐待問題の難しさは、躾や教育といった所にまで及び、そして子どもの心の問題も含まれてくるので、さまざまな方向から捉えていく必要性があるわけですが、多面的に見れば見るほどややこしくなってしまい、矛盾が生じてしまうように思えます。
特にこれといった答えがあるわけでもなく、何を改善していくのか何を治療するのかということも曖昧で、結局子どもが犠牲となって初めて問題が確立することになってしまうのだろうか。。。face07

仮にそうなったとしても、なかなかその問題に気づくに至るまでにはいかないことが多いようです。。。

虐待ではありませんが、躾や対応の仕方で相談を受けたこともありました。本人にその問題意識はあり、なにを変えればいいのかが頭では理解していても、行動が伴わないという感じで、そして、また、うやむやになってしまうといったことを繰り返していましたが、あるきっかけがあって、改善の方向に至ったのかなという感じになりましたが、問題点を理解し、そして改善していくのはやはりなかなか難しいと実感しました。
その子どもに少し絵を描いてもらったところ、少しですが気になる点を感じました。もちろん本人は無自覚なものですから、少し心配な点とかの考察をふまえて、お母さんと話をしたりしました。ただし、この絵が全てを語っているわけではないですし本心は分かりませんから、あくまでも参考としてなのですが、お母さん自身が気にしている部分を反映していたように思えました。
こういった部分は変化をしていきますから、心配して過剰に反応するのではなく、ここから少しずつ歩み寄る気持ちが大切なのだと思います。もうそろそろ中学生だし、どうなってるかなあ。face01



番組の中で印象的だったのは、虐待されてきた方々が虐待をする方を許せないとか言うのかと思いきや、理解できるという点でした。あと、愛憎というのも人間ならではの感覚だなあと感じました。

もう一つは、いろいろなことが話せる場の存在がものすごく必要だったと言われたこと。いろいろな事を話せるというのは、まぁ心を許せるというのでしょうか、どんなことを話していてもOKみたいな空気感というのでしょうかねぇ。
たしかにそれによって問題を抑えることは可能だと感じます。仲間うちだと逆にストレスを溜めてしまう原因にもなり得る事があるということはよく聞きます。今、孤立した感の強い世の中ですし、特に子育てされている時には、孤独を感じられる方は多いと思います。情報が多すぎて混乱してしまうといったケースもみられるので複雑なんです。

うちにみえるクライアントさんたちの多くも(年配の方が多いですが)言われるのは、普段話せないような事を話せることは、すごい気持ちが楽になるということ。やはり両親や友人にも話せないこと(愚痴など^^;)は沢山あるから、うちのようなニュートラルな環境はいいのでしょうね。僕の世界観というかテキトーな話も、受けるみたいですが^^;
うちには子どもがいないので、子育てに関しては体験や実感として分からないことは多いのですが、過去にシングルママ友の子守手伝い(?)のようなこともあったりで児童心理的なことや発達心理的な話は、逆にニュートラルな観点、もしくは子どもの観点で捉えることが出来るかなあと思います。


誰しも多かれ少なかれ、トラウマ(心的外傷)というものを背負って成長していくわけだけども、それがどういった影響として表れるのかは計り知れません。しかし、それは主に肉体を通して表されることが多いのです。

それはまた。。。  

Posted by ゆるり at 17:30Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年06月28日

生と死とホリスティック

もっとも身近なもの。

仕事柄もあり、そういうことに触れ考えることが多い。ホリスティック医療という分野にはこういう部分も含まれます。カールベッカー氏の講和で、共感を覚える部分もありました。



生と死。絶対真理。これから避けることは絶対に出来ない。
当たり前すぎて、このことについて考えることは一般的にはほとんど無いものと思われます。
下手すればタブー視される領域かもしれません。


生み出せば、宿る命。そして尽きる命。生と死とその違いは。。。。命。

いのちとは。。。その目的はどこにあるのか。

宿るまで、そこには存在も目的もない、ましてや個人としての意識はないと思われ。
ある時からそこには、個人の意識が出来上がる。いのちはそこから自己を意識しはじめる。

命、それは共有のものなのか、個人のものなのか。誰が為のものなのだろうか。

生と死、それは絶対真理であるにもかかわらず、倫理としてまた哲学として語られ、その答えとしてはいまだ見出されない。逆に真理とはそういうものなのかもしれないなぁ。答えになってはいけない、そういうものなのかも知れない。


生→死は普通に考えられますが、死→生とは考えにくい。
仏教では輪廻という考えがあるから、死あって生ありという考えも出来るのだけれど、そもそもの生がなくては輪廻も無い。卵が先かニワトリが先か、、、う~む。。
しかしながら、死あって生が成り立つのも事実。私たちが生きていられるのも、死があるからであって、なんとも尊く有難いことなのだと思います。

そのことが、今はとてもとても薄っぺらになってしまっています。
私たちの生そして幸の裏には必ずどこかに死があるということの認識が、また生につながっていくものと思います。それでこそ、生の重要性というものを感じられるのかもしれません。

まあ、受け売りのようになってしまいますが、そういったことが家庭の中で、話されることも少ないと思いますし、身近でなくなってきました。昔は、自分ちの野菜を食って、卵とって、鶏をこなし、そして、老人は亡くなっていきというように、身近だったんだろうなあと思います。そうして死に触れるというとおかしいですが、それによって生が喚起されていたのだと思います。ゲームのように簡単な生死はありません。そこには現実としての命はありません。

戦争も同じで、死が身近だから、生きようとするバイタリティーが生まれると、水木しげるさんも書いてみえました。うちのおじいさんも言っていましたねぇ。決して戦争擁護ではありません、あしからず。

僕が小学校くらいの頃、ザリガニを釣るために、蛙を殺して、足なんかをちぎって餌にして釣ったり、釣ったザリガニをちぎって餌にしてまた釣ったりと、残虐なことをしておりましたが、その中で、なんというむごい事をしてるんだろうという自覚と自責いうものが芽生えて、「僕らはみんな生きている」を熱唱した覚えがあります。(養老さんみたいだ ^^;)

近年自殺問題が大きくなってきました。僕自身も命を絶つことを考えたこともありましたし、実際僕の周りでもいくつか起こっている事実です。その反対に、無責任な生もまた問題になっています。
これらの問題は、今さらではありますが、やはり命というものの希薄さが生み出した現象なのかも知れません。もちろんこれらの問題は、そういったことだけではないのかもしれないですが、しかし、いまさらと思えるということは、改善に至っていないということの表れではないのだろうか。。。


三重は神につうじる国、そういった尊く有難い生と死を考える気持ちの発信地となっていきたいものですね。  

Posted by ゆるり at 18:18Comments(1)TrackBack(0)Essay*

2008年06月19日

子どものSOS=おとなのSOS

ちょっとラジオを聴いていて…今さらながらですが
「学級崩壊」なんてコトバを聞くようになって、もうだいぶ経ちますが、いまなお学級崩壊の話を耳にします。学級崩壊、なんかすんごいコトバです。僕の小学校時代には考えられないコトバです。(私1971年生まれ)
まぁでも、中学高校くらいは結構荒れていたヤンキー時代であったようにも思います。^^

ごく最近聞かせてもらった話だと、4クラスのうちの2クラスが学級崩壊に近い状態だと…それも、近くの小学校がです。ひえ~。。。先生のメンタル面の問題の話もよく聞かせてもらいます。今先生って大変です。負荷が大きすぎだわ。一人の人間の限度ってあると思うぞ。

ちらほらと聞いてはいましたが、こんなにも身近なところで沢山起こってるんだなぁと驚きです。以前はちょっと都会というか一部の問題のようではありました。こういった学校の現状に、実体験として携わったことはないので、実際どのくらいのものなのかあまりピンと来ないのですが、話を聞かせてもらうと、まぁびっくりすることは多いです^^;
以前市で相談員やスクールカウンセラーの話を直接担当の方から聞かせてもらいましたが、そりゃ、無理があるって感じでした。対応遅いわ。各学校に1人って。。。orz
無理があるって思っていますが、こちらとしてはなんとも… (役所の決まりでは仕方ないんですよね。)
臨床心理士(スクールカウンセラー)は、週一回・数時間。。。給料は相談員よりはるかに多い。。ちょっとこのスタンスには、まいるface07
それでも、スクールカウンセラーが少ないから、それはそれで大変らしいけど。
相談員はもっと大変らしいですが。。。
もちろんこういった対応だけで解決にはならないのだろうけどね。対策としては必要不可欠になってきてるんじゃないのかな。もう少しこういった方面への予算を組んでもらえるといいんだけど。

教育スタンスが変わったというのも原因の一つとして挙げられるでしょう。僕らの年代より5つくらい下の年代から、変わったらしい。確かに、幼児教育などに変化がみられたと思います。このへんは、また見直しが行われているようですが。
自由という扱いや平等というものの考え方に過剰だったり固執しすぎたのかなとも思ったりもします。
研究者ではないから、そのへん主観的ではありますけど。
情報が多すぎて、部分的な熟成が早いということも、あげられていますね。

世代の移行ということを考えると、いま学級崩壊という状況は、どのように反映されていくのだろうかと考えることもありますが、世の中はそれなりに行くんでしょう^^

今の若いもんは…とは代表的なよくいわれた言葉face02僕も会社員時代に言われましたねぇ。
しかし、若いもんをつくっているのは、若いもんと言う世代でもあるんですよね。これ面白いもので。
自身も今現在の時代を同じような目線で生きれば、たぶん結局変わらないんですけど。いつの時代も出てくる言葉なのでしょう^^ 言われていた私ですら、結局思うんですから。

河合隼雄さんのカウンセリングの本にも、今は時代のギャップというのがいろいろと妙な感じで大きく影響しているというようなことが書かれていますが、自分もやはりそれは感じます。
時代は常に変化していくものだから、もうそれは仕方ないものなのでしょうけど。

現代というのは大人と子どもの境界線があまり無くなってきているというのもあるのかな。発達や成長といったものは、ある一定の法則のような流れがあるから、それが崩れるとダメなんじゃないだろうかなと考えています。原始的な生活をしている部族というのは、大人と子どもの境界ははっきりしています。だから、子どもは大人を目指すのだと思いますし、大人というのもそれなりの伝統というのか秩序を持っています。いまは、それがイマイチ少ないなぁと思います。
それでもそういう部族にも世代間ギャップあって、やはり少しずつ変化しているんです。でも、欧米の文化が入ってくるからなんですけどね。

子どもは、なんとなくそういったことを分かっているのかもしれません。もし何かしらの宇宙の法則があるとして、子どもが子どもという本来の流れから外れれば、どこかしらに警告、SOSを発することになるのではないでしょうか。
AC(Adult Children/アダルトチルドレン)などの問題もありますし、ちょっと別物ですがインディゴチルドレン、クリスタルチルドレンといったのもありまして、いろんなチルドレンがおるんですw
ACは別として、それはそれでまあ、都合の良い大人の解釈とも思える部分でもあり、よく分からないところでもあります。

しかし、子供という時代、そして成長過程というものには、発達心理にいわれるように、時期に応じたそれなりの意味というのがあるんだと思います。そしてその成長過程の飛び級はできないもので、どこかそれなりに表れるように思います。だから、それぞれの時代に応じてそのプロセスを踏んでいかなければ、おかしなところでそれが入れ替わったりして表れるから、おかしなことになるんかもしれません。

日本だけでなく、世界各国が考えています。欧米では芸術療法的なアプローチが取り入れられつつあるようですが、日本の現状は遅れているようです。シュタイナーの考え方とか好きだけど、いまの日本の社会だと土壌が違うからどうなんだろうかとも思ったり。体制も変わらないとなぁ。
卵が先か鶏が先か。。。


子どもは大人に何を見、大人は子どもに何を見るのか。


僕には子どもがいないけど、実際いたら、また違った見方になるんだろうなぁ。
やはり客観性を持って、見ていくことは難しくなるんだろうなあ。  

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2008年06月15日

明日天気にな~れ



夏のことわざに、「子どもが騒ぐと、雨」というのがあるそうです。

どういうことかというと、低気圧が近づくと人や動物の生理作用や自律神経に影響を及ぼすことから、自制心弱い子どもは、イライラして騒がしくしてしまうということを表しています。カラスが騒ぐとというのもあるようですね。

人に限らず生き物の行動は、天候に左右されることが多くあります。しかし、それがどういったメカニズムなのかは未だ分かっていません。私たちの生活サイクル・バイオリズムは、自分たちが感じている以上に、地球的宇宙的影響の下で成り立っているのだろうと思います。
私たちは自分たち自身で生命活動を営んでいると思い込んでおりますが、実際は違うのかもしれません。
私たちは一つの固体ではなく、多くの細胞たちの集合によって成り立っています。
仮に地球を私たち個人として考えてみると、われわれは細胞の一つとも考えられます。宇宙から見れば地球もまた細胞の一つです。とすると、宇宙=地球=私自身、と考えることも出来、一見多様なように思えても、実は一つの現象に過ぎないとも言えるのかもしれません。icon06ややこしや~^^ こんなこと考えるのも人だけかもしれませんが…

それはさておき、
天候による影響というのは、気圧の影響や電磁波のような電気的な影響があるかと思うのですが、肉体面・精神面に様々な形で現れます。しかし、これらはまだはっきりとしたものではない為に、様々な説としてや多少オカルトっぽい話として扱われることがほとんどでしょう。

そうでなくとも、悪天候というのはあまり気分の良いものではないですよね。さわやかな雨というのもありますけどね。
降ってしまうとそれはもう仕方がないですし、気圧や電気的な影響も少なくなると考えられます。

気圧の影響は比較的わかりやすいものでしょう。実際科学の実験で、風船を使って内圧と外圧の変化で、風船が膨張したり縮んだりするのは、見たことがあるかと思います。

よく天気が悪くなると膝が痛むとかありますが、気圧の関係で関節内圧に影響が出て、圧迫感を生じたりする為の症状ということも言われています。
天気の悪化によって、耳鳴りや頭痛、めまいなどの症状を感じる場合も内圧の変化によるものが多いと思われます。この場合は内耳および平衡器官の影響が多いです。
もちろん血管なども圧力の変化に影響を受けるだろうから、血圧の変化にも影響が出てくるでしょう。
天候によって、体調の変化を感じるという話をよくお聞きします。
ただし、みんなに出るわけではなく、その時の体調や個人の体質によるものもあるので、確定データが得られないという難しさがあります。

分かりにくいのは、電気的影響。
生き物は非常に電気的ですので、電気の影響はさまざまに現れてくるのですが、一番つかみ所がないところでもあります。主に神経系統に影響を与えるので、主にメンタリティー・精神的な影響として現れると思います。また、神経系ですので、ホルモン及び内分泌系にも現れ免疫にも影響すると考えられています。もちろん筋肉の動くメカニズムにしても電気的な作用なので、肉体にも影響はあるでしょう。

低気圧というよりは気圧の境目には、この電気成分が多いので、生理作用や自律神経に影響を及ぼしやすいということになり、上記のことわざのようなことが言われるようになったのだと思います。
子どもに限ったことではないですよね。face02

天候に限らず、地質によるもの宇宙からのものなど、この電気的な影響というものは自然界に多く存在していますし、それらが健康などに与える要素として非常に大きなものではないかと考えています。
ただ電気というのかなんというのか、それらは目に見えない力ですので、分かりにくいと言えば分かりにくい。しかし、それは存在する。

何かこう考えると、なんともしようがないようにも思えますが、電気的な影響に関しては、悪いことばかりでなく良いこともありますので、一概に心配することもありません。良い方向に使うというのが、いいのかな?その鍵を握るのがオーラというのでしょうか生命エネルギー場というのでしょうか、そういうもんだと考えています。そしてそれは非常に地球の状態と同じようなものなのです。それはまた。。。  

Posted by ゆるり at 14:57Comments(2)TrackBack(0)Essay*

2008年05月17日

ウィルスバスター

近年、コンピュータ内に侵入し機能を低下させる悪質なウィルスが多く存在するということを知らない人は少ない時代になりました。そういった悪質なウィルスからPCを守るウィルス駆除ソフトというものがあり、すでにインストールされている方も多いのではないでしょうか。駆除ソフトは外部から侵入してくるウィルスを発見・駆除してくれる心強い味方です。しかし、日々新たなスタイルのウィルスが発生してくるので、駆除ソフトもそれに対応できる新しいワクチンプログラムに更新していかないと全く意味がないので、こまめに最新情報をダウンロードしていく必要があります。いたちごっこですね。
それにしても、これら悪質なウィルスを、我々「人」が作り出しているということは、なんとも馬鹿馬鹿しい話です。ビジネスがらみという説もありますが…

我々生物は、コンピュータ世界のウィルス駆除ソフトとまったく同じような「免疫システム」という機能を生まれながらに持っているので、外敵の侵入などから身を守ることが出来ています。

古来より、その生活環境に応じた免疫システムが作られてきました。だからこそこうして生きながらえているわけで、その長い歴史の間、多くのデータ収集をしワクチンを作ってきたから、少々のウィルスや雑菌の侵入は許しません。データにないウィルスなどの侵入に対しても迅速な対応で、データ収集、ワクチンの作成を行い、免疫システムの情報を更新してきました。ちょっとした風邪などの状態は情報収集期間です。免疫が出来れば同じ風邪はひかなくなります。迅速な対応が出来るのは免疫システムがしっかりと機能出来てこそです。

生活環境に応じ四季折々のものを食べるという事は、免疫の強化という点で、栄養以上に意味があるではないかと思うのです。その時々の食物、特に野草などにはその時期に必要な免疫情報が含まれているのかもしれません。そういった季節のものを口にすることが少なくなった現代人の免疫力低下は、言うまでもなく当たり前なのかもしれません。昔の人は丈夫だというのにも、納得がいきます。自然と調和していたのです。

さらに現代では、とにかく免疫機能をないがしろにする傾向があるように思えます。薬そして除菌。そのほかにも生活の中のストレスなど多々あります。

薬は使わない手はありませんが、今ある薬の多くは化学的な人工物。強力で、一見効くように見えます。しかし、免疫システムを鈍麻させる傾向のものがほとんどなのです。風邪薬は、咳・くしゃみ・熱などを抑えて楽にしてくれます。しかしそれは誤魔化しているだけで、風邪自体にはほぼ影響しません。外部からの侵入者に対しては、意味がないものがほとんどです。ましてや、その症状は情報収集期間なのです。それをブロックして楽になったと思っています。

PCにウィルス除去ソフトを入れて、その機能を停止させるでしょうか?本来の除去機能を麻痺させて擬似的に機能させるソフトをインストールするでしょうか?まるで除去ソフトの意味なしです。

状態によって薬は必要です。しかし必要最小限に抑え、それ以外の方法で対処するのがいいと思います。「何かあるとスグ薬」は、自分を弱らせる薬に成り得ます。古くから伝わる伝承療法が、よほど意味があると思うのです。本来は草冠に楽と書くくらいですから、植物です。野草だったのです。極少量の毒でもあったわけで、大量に使えば毒となります。毒だからこそ、それは免疫機能を強化させる力があるのだと思います。ホメオパシーという海外の自然療法で言われることです。漢方も似たりです。

あと除菌。間違っていると思います。ウィルス雑菌共に、自然界のものは生きています。生きようとします。自然な摂理です。除菌の為に強力な薬を使います。そうすれば生きようと対抗策を考えてくるでしょう。必要以上の殺菌除菌はウィルスや菌を強くするためにやっているようなものです。
その上、免疫を低下させているのでは、踏んだり蹴ったりです。

上手にウィルスバスターを活用させたいものです。  

Posted by ゆるり at 14:32Comments(0)TrackBack(0)Essay*

2008年05月17日

イヤシロチ

古来より土地にはイヤシロ地と呼ばれる良い土地と、ケガレ地と呼ばれる悪い土地に分けられていたそうです。中国風水から伝えられたもののようで、いわゆる聖地などといわれるような場所や悪霊の住む森などと言われる怪しい場所などがそのようです。
世界のどこにでもあるオカルトチックな話ですが、科学的な根拠も報告されているので面白い。
なにかなしにそういった話が生まれては来ないんですね。
もちろんふつうの場所もあり、可もなく不可もなくふつうの土地です。イヤシロチ、ケガレチはその両極端の特化した所を指します。

さらには、聖地と呼ばれる場所では人がトランス状態に入りやすく、古代の聖堂のような場所は音の響きまでも計算されていて、トランスに入りやすい状態をつくっていたという研究報告もあります。
音とトランスの関係性は、また違う項目で書くとしましょう。
そういった場所で難病が治ったり奇跡的なことが起こるのは、不思議なことではないかもしれません。

この2つの土地の違いは地中地表を流れる電流「地電流」によるもので、地電流が集まって「磁場」が生まれます。良い土地・イヤシロ地は地磁場の安定したエネルギーの強い土地で、悪い土地・ケガレ地は地磁場の安定してないエネルギーの弱い土地となります。
強い弱いとはエネルギーの流れによるものと考えられるのですが、エネルギーの流れも水の流れと同じことが言えますので、流れの悪いところは澱みとなり水が汚れるのと同じです。早すぎてもだめでして、すべてを流し去ってしまい何も残りません。ちょうど良い清流のようなものが好ましいわけです。

人を含め生き物は皆、非常に電気的磁気的な要素を持っていますので、これら磁場が私達の生活や心身の健康に大きな影響を与えていると考えられるわけですね。しかしながら、こういったことにはなかなか気がつかなくなってしまった現代人です。
ちょっと訓練すれば、解るようになってきますけどね。。。

昔の人は、この「地電流」の力を知っていてというか感じていて、エネルギーの強い土地に宮殿や神社仏閣を建てたりしたようです。イヤシロ地には、自然に人も集まります。
よく繁盛する店や、スグに店がつぶれる所には、こういったものが影響しているのかもしれません。

人工的に良い土地の状態を作り出す事も可能で、炭を利用することで磁場を安定させエネルギーの高い良い土地に改良したようです。この方法は古事記、日本書紀にも書かれているそうです。
それ以外にも、モノの形状によってもそういったエネルギーの流動作用がおこるんです。
らせんがそのひとつです。

よく炭の浄化効果がいわれますが、すごいですね炭。そして昔の人はつくづくスゴイです。
物が燃えると、面白いことが起こるんですよ。不思議です。
炭を利用しましょう。
これは、いわゆるイオンの話になってくるのですが、電気質というのはとても重要なことなんですね。陽イオンが多いといけません。この話もまたどこかで。

波動療法の開発者パウルシュミットの研究(波動のはなし参照)もこれに近いものです。ドイツでいわれる「ガンの村」はケガレ地に当たるのでしょう。磁場も波動のひとつです。

なぜ現代は、昔の人が見つけ大切にしてきた「良い」ことを、大事に受け止めていないのだろうか。
あまりよくないことは、すたれないのに…
(目にみえないものは信じられない?理屈のわからないものは信じられない?それってただの無知?)

「流れ」は高きから低きにしか流れない…  

Posted by ゆるり at 14:23Comments(0)TrackBack(0)Essay*