2008年06月30日
愛のちから
When the "Power of Love"
overcomes the "LOVE of POWER",
the world will know PEACE... - Jimi -
「愛の力」が「力の愛」を超えるとき、世界に平和が訪れる
-ジミ・ヘンドリックス-
この言葉の持つ意味は、真実。。。
私たちの知り得る情報は、真実の中のほんの一握りでしかないかも、
知れない。。。
一握の砂。。。真実の愛は一握できない。
overcomes the "LOVE of POWER",
the world will know PEACE... - Jimi -
「愛の力」が「力の愛」を超えるとき、世界に平和が訪れる
-ジミ・ヘンドリックス-
この言葉の持つ意味は、真実。。。
私たちの知り得る情報は、真実の中のほんの一握りでしかないかも、
知れない。。。
一握の砂。。。真実の愛は一握できない。
2008年06月29日
愛と躾と虐待と [考察]
ETVワイド 6月28日(土) 午後8時~10時 「子ども虐待」
http://www.nhk.or.jp/heart-net/wide/index.html
う~ん、やっぱりなんとも難しい話しだなぁ。
少し長文になりますが・・・
虐待にも色々なケースがあって、一概に言えるものではないのですが、虐待する、してしまう方の多くは、過去に自身も虐待を受けていることが多いんですね。本で読むことはあります。
ぼくも虐待の話は身近なところでも聞きますが、実際そういう方と話した事はありません。番組に出てみえた方のように、本人に自覚があり、駄目と思いつつも虐待してしまうという方がおられ、不思議な感じがしました。意識層ではなく無意識層での行動ということになるのだろうか。
虐待という行為は、ある種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と捉えることができるのではないかと思われた。厳密にはPTSDの定義とは異なりますが、虐待行動が過去のフラッシュバックから引き起こされているとすれば、ただ単なる攻撃衝動とも言えないのではないだろうか。。。
番組には、虐待をする方々、そして虐待されてきて精神の障害を持ってしまった方々との2パターンがありましたが、それぞれ個々で見ると、その問題は個々の問題のようですが、過去現在未来という連鎖的な流れが見て取れました。
虐待をしてしまう方を見て感じるのは、もちろん個人が起こす問題なのですが、個人の問題だけではなく、その個人を取り巻く環境やパートナーの在り方、さらには社会全体や時代的背景など、さまざまな要因が絡み合って出来た大きな問題であると思います。
全く理解できない、というものでもありません。その背景なんかから考えると分かるような部分もあります。そうならざるを得ない状況だったのでしょう。全くもって、身勝手な虐待もありますから、番組に出演されていた方達は少し違います。
虐待を受けてきた方々の話は、そりゃ精神的に参るわなぁという、明らかに事件性あるやんって思えるレベルの事柄でしたが、身近に聞く話とかだと、直接本人から聞くわけでもなく、判断もなかなか難しいレベルだったりで、直接こっちからなんだかんだ言えることもないわけで、それでも結局子どもらは成長していく。
これらの問題はすっごい微妙な問題で、大問題になって気づくことが多いから、その対処というのはかなり難しくなるだろう。
虐待といっても、暴力だけが虐待ではなく言葉というものもあるわけで、そういった範囲まで広げると、もう、どんだけ~
なこととなります。番組の場合は分かりやすいものが多かったが、虐待問題の難しさは、躾や教育といった所にまで及び、そして子どもの心の問題も含まれてくるので、さまざまな方向から捉えていく必要性があるわけですが、多面的に見れば見るほどややこしくなってしまい、矛盾が生じてしまうように思えます。
特にこれといった答えがあるわけでもなく、何を改善していくのか何を治療するのかということも曖昧で、結局子どもが犠牲となって初めて問題が確立することになってしまうのだろうか。。。
仮にそうなったとしても、なかなかその問題に気づくに至るまでにはいかないことが多いようです。。。
虐待ではありませんが、躾や対応の仕方で相談を受けたこともありました。本人にその問題意識はあり、なにを変えればいいのかが頭では理解していても、行動が伴わないという感じで、そして、また、うやむやになってしまうといったことを繰り返していましたが、あるきっかけがあって、改善の方向に至ったのかなという感じになりましたが、問題点を理解し、そして改善していくのはやはりなかなか難しいと実感しました。
その子どもに少し絵を描いてもらったところ、少しですが気になる点を感じました。もちろん本人は無自覚なものですから、少し心配な点とかの考察をふまえて、お母さんと話をしたりしました。ただし、この絵が全てを語っているわけではないですし本心は分かりませんから、あくまでも参考としてなのですが、お母さん自身が気にしている部分を反映していたように思えました。
こういった部分は変化をしていきますから、心配して過剰に反応するのではなく、ここから少しずつ歩み寄る気持ちが大切なのだと思います。もうそろそろ中学生だし、どうなってるかなあ。
番組の中で印象的だったのは、虐待されてきた方々が虐待をする方を許せないとか言うのかと思いきや、理解できるという点でした。あと、愛憎というのも人間ならではの感覚だなあと感じました。
もう一つは、いろいろなことが話せる場の存在がものすごく必要だったと言われたこと。いろいろな事を話せるというのは、まぁ心を許せるというのでしょうか、どんなことを話していてもOKみたいな空気感というのでしょうかねぇ。
たしかにそれによって問題を抑えることは可能だと感じます。仲間うちだと逆にストレスを溜めてしまう原因にもなり得る事があるということはよく聞きます。今、孤立した感の強い世の中ですし、特に子育てされている時には、孤独を感じられる方は多いと思います。情報が多すぎて混乱してしまうといったケースもみられるので複雑なんです。
うちにみえるクライアントさんたちの多くも(年配の方が多いですが)言われるのは、普段話せないような事を話せることは、すごい気持ちが楽になるということ。やはり両親や友人にも話せないこと(愚痴など^^;)は沢山あるから、うちのようなニュートラルな環境はいいのでしょうね。僕の世界観というかテキトーな話も、受けるみたいですが^^;
うちには子どもがいないので、子育てに関しては体験や実感として分からないことは多いのですが、過去にシングルママ友の子守手伝い(?)のようなこともあったりで児童心理的なことや発達心理的な話は、逆にニュートラルな観点、もしくは子どもの観点で捉えることが出来るかなあと思います。
誰しも多かれ少なかれ、トラウマ(心的外傷)というものを背負って成長していくわけだけども、それがどういった影響として表れるのかは計り知れません。しかし、それは主に肉体を通して表されることが多いのです。
それはまた。。。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/wide/index.html
う~ん、やっぱりなんとも難しい話しだなぁ。
少し長文になりますが・・・

虐待にも色々なケースがあって、一概に言えるものではないのですが、虐待する、してしまう方の多くは、過去に自身も虐待を受けていることが多いんですね。本で読むことはあります。
ぼくも虐待の話は身近なところでも聞きますが、実際そういう方と話した事はありません。番組に出てみえた方のように、本人に自覚があり、駄目と思いつつも虐待してしまうという方がおられ、不思議な感じがしました。意識層ではなく無意識層での行動ということになるのだろうか。
虐待という行為は、ある種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と捉えることができるのではないかと思われた。厳密にはPTSDの定義とは異なりますが、虐待行動が過去のフラッシュバックから引き起こされているとすれば、ただ単なる攻撃衝動とも言えないのではないだろうか。。。
番組には、虐待をする方々、そして虐待されてきて精神の障害を持ってしまった方々との2パターンがありましたが、それぞれ個々で見ると、その問題は個々の問題のようですが、過去現在未来という連鎖的な流れが見て取れました。
虐待をしてしまう方を見て感じるのは、もちろん個人が起こす問題なのですが、個人の問題だけではなく、その個人を取り巻く環境やパートナーの在り方、さらには社会全体や時代的背景など、さまざまな要因が絡み合って出来た大きな問題であると思います。
全く理解できない、というものでもありません。その背景なんかから考えると分かるような部分もあります。そうならざるを得ない状況だったのでしょう。全くもって、身勝手な虐待もありますから、番組に出演されていた方達は少し違います。
虐待を受けてきた方々の話は、そりゃ精神的に参るわなぁという、明らかに事件性あるやんって思えるレベルの事柄でしたが、身近に聞く話とかだと、直接本人から聞くわけでもなく、判断もなかなか難しいレベルだったりで、直接こっちからなんだかんだ言えることもないわけで、それでも結局子どもらは成長していく。
これらの問題はすっごい微妙な問題で、大問題になって気づくことが多いから、その対処というのはかなり難しくなるだろう。
虐待といっても、暴力だけが虐待ではなく言葉というものもあるわけで、そういった範囲まで広げると、もう、どんだけ~
なこととなります。番組の場合は分かりやすいものが多かったが、虐待問題の難しさは、躾や教育といった所にまで及び、そして子どもの心の問題も含まれてくるので、さまざまな方向から捉えていく必要性があるわけですが、多面的に見れば見るほどややこしくなってしまい、矛盾が生じてしまうように思えます。特にこれといった答えがあるわけでもなく、何を改善していくのか何を治療するのかということも曖昧で、結局子どもが犠牲となって初めて問題が確立することになってしまうのだろうか。。。

仮にそうなったとしても、なかなかその問題に気づくに至るまでにはいかないことが多いようです。。。
虐待ではありませんが、躾や対応の仕方で相談を受けたこともありました。本人にその問題意識はあり、なにを変えればいいのかが頭では理解していても、行動が伴わないという感じで、そして、また、うやむやになってしまうといったことを繰り返していましたが、あるきっかけがあって、改善の方向に至ったのかなという感じになりましたが、問題点を理解し、そして改善していくのはやはりなかなか難しいと実感しました。
その子どもに少し絵を描いてもらったところ、少しですが気になる点を感じました。もちろん本人は無自覚なものですから、少し心配な点とかの考察をふまえて、お母さんと話をしたりしました。ただし、この絵が全てを語っているわけではないですし本心は分かりませんから、あくまでも参考としてなのですが、お母さん自身が気にしている部分を反映していたように思えました。
こういった部分は変化をしていきますから、心配して過剰に反応するのではなく、ここから少しずつ歩み寄る気持ちが大切なのだと思います。もうそろそろ中学生だし、どうなってるかなあ。

番組の中で印象的だったのは、虐待されてきた方々が虐待をする方を許せないとか言うのかと思いきや、理解できるという点でした。あと、愛憎というのも人間ならではの感覚だなあと感じました。
もう一つは、いろいろなことが話せる場の存在がものすごく必要だったと言われたこと。いろいろな事を話せるというのは、まぁ心を許せるというのでしょうか、どんなことを話していてもOKみたいな空気感というのでしょうかねぇ。
たしかにそれによって問題を抑えることは可能だと感じます。仲間うちだと逆にストレスを溜めてしまう原因にもなり得る事があるということはよく聞きます。今、孤立した感の強い世の中ですし、特に子育てされている時には、孤独を感じられる方は多いと思います。情報が多すぎて混乱してしまうといったケースもみられるので複雑なんです。
うちにみえるクライアントさんたちの多くも(年配の方が多いですが)言われるのは、普段話せないような事を話せることは、すごい気持ちが楽になるということ。やはり両親や友人にも話せないこと(愚痴など^^;)は沢山あるから、うちのようなニュートラルな環境はいいのでしょうね。僕の世界観というかテキトーな話も、受けるみたいですが^^;
うちには子どもがいないので、子育てに関しては体験や実感として分からないことは多いのですが、過去にシングルママ友の子守手伝い(?)のようなこともあったりで児童心理的なことや発達心理的な話は、逆にニュートラルな観点、もしくは子どもの観点で捉えることが出来るかなあと思います。
誰しも多かれ少なかれ、トラウマ(心的外傷)というものを背負って成長していくわけだけども、それがどういった影響として表れるのかは計り知れません。しかし、それは主に肉体を通して表されることが多いのです。
それはまた。。。
2008年06月28日
生と死とホリスティック
もっとも身近なもの。
仕事柄もあり、そういうことに触れ考えることが多い。ホリスティック医療という分野にはこういう部分も含まれます。カールベッカー氏の講和で、共感を覚える部分もありました。

生と死。絶対真理。これから避けることは絶対に出来ない。
当たり前すぎて、このことについて考えることは一般的にはほとんど無いものと思われます。
下手すればタブー視される領域かもしれません。
生み出せば、宿る命。そして尽きる命。生と死とその違いは。。。。命。
いのちとは。。。その目的はどこにあるのか。
宿るまで、そこには存在も目的もない、ましてや個人としての意識はないと思われ。
ある時からそこには、個人の意識が出来上がる。いのちはそこから自己を意識しはじめる。
命、それは共有のものなのか、個人のものなのか。誰が為のものなのだろうか。
生と死、それは絶対真理であるにもかかわらず、倫理としてまた哲学として語られ、その答えとしてはいまだ見出されない。逆に真理とはそういうものなのかもしれないなぁ。答えになってはいけない、そういうものなのかも知れない。
生→死は普通に考えられますが、死→生とは考えにくい。
仏教では輪廻という考えがあるから、死あって生ありという考えも出来るのだけれど、そもそもの生がなくては輪廻も無い。卵が先かニワトリが先か、、、う~む。。
しかしながら、死あって生が成り立つのも事実。私たちが生きていられるのも、死があるからであって、なんとも尊く有難いことなのだと思います。
そのことが、今はとてもとても薄っぺらになってしまっています。
私たちの生そして幸の裏には必ずどこかに死があるということの認識が、また生につながっていくものと思います。それでこそ、生の重要性というものを感じられるのかもしれません。
まあ、受け売りのようになってしまいますが、そういったことが家庭の中で、話されることも少ないと思いますし、身近でなくなってきました。昔は、自分ちの野菜を食って、卵とって、鶏をこなし、そして、老人は亡くなっていきというように、身近だったんだろうなあと思います。そうして死に触れるというとおかしいですが、それによって生が喚起されていたのだと思います。ゲームのように簡単な生死はありません。そこには現実としての命はありません。
戦争も同じで、死が身近だから、生きようとするバイタリティーが生まれると、水木しげるさんも書いてみえました。うちのおじいさんも言っていましたねぇ。決して戦争擁護ではありません、あしからず。
僕が小学校くらいの頃、ザリガニを釣るために、蛙を殺して、足なんかをちぎって餌にして釣ったり、釣ったザリガニをちぎって餌にしてまた釣ったりと、残虐なことをしておりましたが、その中で、なんというむごい事をしてるんだろうという自覚と自責いうものが芽生えて、「僕らはみんな生きている」を熱唱した覚えがあります。(養老さんみたいだ ^^;)
近年自殺問題が大きくなってきました。僕自身も命を絶つことを考えたこともありましたし、実際僕の周りでもいくつか起こっている事実です。その反対に、無責任な生もまた問題になっています。
これらの問題は、今さらではありますが、やはり命というものの希薄さが生み出した現象なのかも知れません。もちろんこれらの問題は、そういったことだけではないのかもしれないですが、しかし、いまさらと思えるということは、改善に至っていないということの表れではないのだろうか。。。
三重は神につうじる国、そういった尊く有難い生と死を考える気持ちの発信地となっていきたいものですね。
仕事柄もあり、そういうことに触れ考えることが多い。ホリスティック医療という分野にはこういう部分も含まれます。カールベッカー氏の講和で、共感を覚える部分もありました。

生と死。絶対真理。これから避けることは絶対に出来ない。
当たり前すぎて、このことについて考えることは一般的にはほとんど無いものと思われます。
下手すればタブー視される領域かもしれません。
生み出せば、宿る命。そして尽きる命。生と死とその違いは。。。。命。
いのちとは。。。その目的はどこにあるのか。
宿るまで、そこには存在も目的もない、ましてや個人としての意識はないと思われ。
ある時からそこには、個人の意識が出来上がる。いのちはそこから自己を意識しはじめる。
命、それは共有のものなのか、個人のものなのか。誰が為のものなのだろうか。
生と死、それは絶対真理であるにもかかわらず、倫理としてまた哲学として語られ、その答えとしてはいまだ見出されない。逆に真理とはそういうものなのかもしれないなぁ。答えになってはいけない、そういうものなのかも知れない。
生→死は普通に考えられますが、死→生とは考えにくい。
仏教では輪廻という考えがあるから、死あって生ありという考えも出来るのだけれど、そもそもの生がなくては輪廻も無い。卵が先かニワトリが先か、、、う~む。。
しかしながら、死あって生が成り立つのも事実。私たちが生きていられるのも、死があるからであって、なんとも尊く有難いことなのだと思います。
そのことが、今はとてもとても薄っぺらになってしまっています。
私たちの生そして幸の裏には必ずどこかに死があるということの認識が、また生につながっていくものと思います。それでこそ、生の重要性というものを感じられるのかもしれません。
まあ、受け売りのようになってしまいますが、そういったことが家庭の中で、話されることも少ないと思いますし、身近でなくなってきました。昔は、自分ちの野菜を食って、卵とって、鶏をこなし、そして、老人は亡くなっていきというように、身近だったんだろうなあと思います。そうして死に触れるというとおかしいですが、それによって生が喚起されていたのだと思います。ゲームのように簡単な生死はありません。そこには現実としての命はありません。
戦争も同じで、死が身近だから、生きようとするバイタリティーが生まれると、水木しげるさんも書いてみえました。うちのおじいさんも言っていましたねぇ。決して戦争擁護ではありません、あしからず。
僕が小学校くらいの頃、ザリガニを釣るために、蛙を殺して、足なんかをちぎって餌にして釣ったり、釣ったザリガニをちぎって餌にしてまた釣ったりと、残虐なことをしておりましたが、その中で、なんというむごい事をしてるんだろうという自覚と自責いうものが芽生えて、「僕らはみんな生きている」を熱唱した覚えがあります。(養老さんみたいだ ^^;)
近年自殺問題が大きくなってきました。僕自身も命を絶つことを考えたこともありましたし、実際僕の周りでもいくつか起こっている事実です。その反対に、無責任な生もまた問題になっています。
これらの問題は、今さらではありますが、やはり命というものの希薄さが生み出した現象なのかも知れません。もちろんこれらの問題は、そういったことだけではないのかもしれないですが、しかし、いまさらと思えるということは、改善に至っていないということの表れではないのだろうか。。。
三重は神につうじる国、そういった尊く有難い生と死を考える気持ちの発信地となっていきたいものですね。
2008年06月24日
まめ知識 まめまめ
地震に関しての、まめ知識。

最近、予言的なものもあり、地震に関しての様々な話題が多いようです。
地震に関して地震大国ニッポンとしては、なんとも避けようの無いものです。ヒトの言うことだけに左右されて、あんまり怖がってばかりでも仕方が無い。昔から、私たちはこうした中で生きてきた、そういった先人の知恵や新たな知識を持って、備えていければいいかなあと思います。
ということで、、、
[まめ1]大気イオン説(仮説)大気イオン地震予測研究会
1.地殻にプレート運動などによる圧力がかかる。
2.地殻に微細な亀裂が生じ、そこからラドンが放出される。
3.空気中に放出されたラドンが放射壊変し、210Pb+へと変化していく。
4.イオン(ラドンや210Pb+)に小さなちりや埃(エアロゾル)が付着し、大きくなる。
5.大きくなったイオンは重くなり、地表に落ちてくる。異常なイオン濃度。
6.ラドンを放出後も、圧力はかかり続け、耐えきれなくなったところで地震が発生する。
電磁波の発生に関しても同じような説があって、地殻変動の際に地中の岩石などが崩壊する際にある種の電気が発生するとされており、研究されています。花崗岩質や地質によってや、崩壊速度などによって、その発生量に違いが見られるようです。
しかし、電磁波は現代社会では至る所から発生していて、この中からいかにして地震前兆による(とされる)電磁波を拾い出すかと言う根本的な問題が有ります。幅の広い視野で捉えていくことが重要かと思います。
[まめ2]宏観現象・宏観異常
宏観現象・宏観異常は中国の言い方で、日本では前兆現象が一般的な言われ方かな?地震が起こる前兆現象として起きる自然現象のことです。 動植物や自然が何らかの原因によって、地震が起きる前に日常とは異なる異常な行動・現象を発生させます。たとえば、古来から「ナマズが暴れると大地震が起きる」という言い伝えがあります。
大地震の発生前には、人間に感じられない様々な異常(大気イオン、地電流、地中異変、電磁波など)が発生します。これらの異常を動植物や自然が感じ取り、異常行動・現象が発生するのではないかと考えられています。
例えば、
自然なところでは、
地震雲、地鳴り海鳴り、井戸水の水位や濁り、山の発光現象、明るい夜、虹彩現象(虹のような色つきの雲)、太陽の傘、、、etc
身近なところでは、
テレビ、ラジオのノイズ、電気機器の誤作動、無線・携帯電話のノイズ、つながりが悪い、誤作動、ペットの異常行動、カラスが騒がしい、よくわからない体調不良、高揚感、妙なだるさや眠気、耳鳴り(超低周波音) 、、、etc
その他にも色々あります。
まあ、いつもと違うなあというのは、大体そういわれているようです。
実際観測される現象や現在研究されているものの他、オカルトの類や民間伝承、ことわざなど、まちまちなので、なんとも言えない所であります。だからこそ、すべてを鵜呑みにする必要も無く、ただちょっとした知識として持っていると、意外なところで助けになったりするかなあと思います。
不安に伴ったビジネスにも気をつけましょう。

最近、予言的なものもあり、地震に関しての様々な話題が多いようです。
地震に関して地震大国ニッポンとしては、なんとも避けようの無いものです。ヒトの言うことだけに左右されて、あんまり怖がってばかりでも仕方が無い。昔から、私たちはこうした中で生きてきた、そういった先人の知恵や新たな知識を持って、備えていければいいかなあと思います。
ということで、、、
[まめ1]大気イオン説(仮説)大気イオン地震予測研究会
1.地殻にプレート運動などによる圧力がかかる。
2.地殻に微細な亀裂が生じ、そこからラドンが放出される。
3.空気中に放出されたラドンが放射壊変し、210Pb+へと変化していく。
4.イオン(ラドンや210Pb+)に小さなちりや埃(エアロゾル)が付着し、大きくなる。
5.大きくなったイオンは重くなり、地表に落ちてくる。異常なイオン濃度。
6.ラドンを放出後も、圧力はかかり続け、耐えきれなくなったところで地震が発生する。
電磁波の発生に関しても同じような説があって、地殻変動の際に地中の岩石などが崩壊する際にある種の電気が発生するとされており、研究されています。花崗岩質や地質によってや、崩壊速度などによって、その発生量に違いが見られるようです。
しかし、電磁波は現代社会では至る所から発生していて、この中からいかにして地震前兆による(とされる)電磁波を拾い出すかと言う根本的な問題が有ります。幅の広い視野で捉えていくことが重要かと思います。
[まめ2]宏観現象・宏観異常
宏観現象・宏観異常は中国の言い方で、日本では前兆現象が一般的な言われ方かな?地震が起こる前兆現象として起きる自然現象のことです。 動植物や自然が何らかの原因によって、地震が起きる前に日常とは異なる異常な行動・現象を発生させます。たとえば、古来から「ナマズが暴れると大地震が起きる」という言い伝えがあります。
大地震の発生前には、人間に感じられない様々な異常(大気イオン、地電流、地中異変、電磁波など)が発生します。これらの異常を動植物や自然が感じ取り、異常行動・現象が発生するのではないかと考えられています。
例えば、
自然なところでは、
地震雲、地鳴り海鳴り、井戸水の水位や濁り、山の発光現象、明るい夜、虹彩現象(虹のような色つきの雲)、太陽の傘、、、etc
身近なところでは、
テレビ、ラジオのノイズ、電気機器の誤作動、無線・携帯電話のノイズ、つながりが悪い、誤作動、ペットの異常行動、カラスが騒がしい、よくわからない体調不良、高揚感、妙なだるさや眠気、耳鳴り(超低周波音) 、、、etc
その他にも色々あります。
まあ、いつもと違うなあというのは、大体そういわれているようです。
実際観測される現象や現在研究されているものの他、オカルトの類や民間伝承、ことわざなど、まちまちなので、なんとも言えない所であります。だからこそ、すべてを鵜呑みにする必要も無く、ただちょっとした知識として持っていると、意外なところで助けになったりするかなあと思います。
不安に伴ったビジネスにも気をつけましょう。
2008年06月23日
2008年06月21日
おねがい^^

今、メーカーと協力して、あるデータの検証をしています。
↓こんなことが急に感じられましたら、教えてください。

あと、いつもはあまり感じたことの無い体調不良(めまい感、頭重、歯が浮く感じ、神経痛的なもの、肩こり、背中の張り、高揚感、不安感など)、ほか小さなお子さんがいつになく妙にぐずるとか、ペットなどが落ち着かないなども、ありましたらご連絡ください。
2008年06月20日
ホリスティック
Holistic(ホリスティック)という言葉は、近頃多く聞かれるようになりました。
私も、今のスタンスを考えていく上で、とても重要な役割となった言葉です。
ギリシャ語のholos(全体)を語源としています。そこから派生した言葉にwhole,heal,holy,health…などがあるそうで、健康(health)という言葉自体がもともと『全体』に根ざしているんだそうです。
天空と太陽の神、ホルスとも関係があるのかなあとも思ったり。
ホリスティックは比較的新しいコトバですが、考え方は東洋思想的であって、そんなに新しいわけではないと思っています。ただ、「全体性」や「バランス」などといった幅広い意味を表すので、これです!というものがなくって、漠然とした感じがありますが、対処的に事を運ぶだけではなく、本来持っている「自然治癒力」によって健康の増進・維持を図ろうという考えが基本としてあります。
ホリスティック医学協会 会長 帯津 良一先生の言葉をお借りしまして。

ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえます。
健康や癒しとは本来、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた人間の全体性と深く関係があります。これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の中の生老病死というステージを考え、病を癒していくなかに関連する、あらゆる分野の「癒し」も大切に考えるということです。
ということです。今後医療の方もこういった分野を取り入れていくことでしょう。
ホリスティックな代替療法、よくあるやつだけでも、こんなにありまっす
>>コチラ
私も、今のスタンスを考えていく上で、とても重要な役割となった言葉です。
ギリシャ語のholos(全体)を語源としています。そこから派生した言葉にwhole,heal,holy,health…などがあるそうで、健康(health)という言葉自体がもともと『全体』に根ざしているんだそうです。
天空と太陽の神、ホルスとも関係があるのかなあとも思ったり。
ホリスティックは比較的新しいコトバですが、考え方は東洋思想的であって、そんなに新しいわけではないと思っています。ただ、「全体性」や「バランス」などといった幅広い意味を表すので、これです!というものがなくって、漠然とした感じがありますが、対処的に事を運ぶだけではなく、本来持っている「自然治癒力」によって健康の増進・維持を図ろうという考えが基本としてあります。
ホリスティック医学協会 会長 帯津 良一先生の言葉をお借りしまして。

ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえます。
健康や癒しとは本来、身体だけでなく目に見えない精神・ 霊性も含めた人間の全体性と深く関係があります。これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の中の生老病死というステージを考え、病を癒していくなかに関連する、あらゆる分野の「癒し」も大切に考えるということです。
ということです。今後医療の方もこういった分野を取り入れていくことでしょう。
ホリスティックな代替療法、よくあるやつだけでも、こんなにありまっす
>>コチラ 2008年06月20日
アンテナ

ラジオが聞こえる、テレビが見える、衛星で中継が出来る、携帯電話で話すことが出来るetc.etc.のは、アンテナが特定の情報をキャッチし、それを変換できるから。この目に見えないところを、情報は無数に飛び交っている。私たちがキャッチできない範囲の波動情報だから、それはパッと見、認識することはできない。もし出来たとしたら、それはただ事ではないでしょうね。とても生活できたもんじゃない
私たちは知りえる情報のみしか知りえないように出来ている。しかし私たちもアンテナを持っています。あるチャンネルに合わす事が出来たなら、ある特定の情報を得ることは可能だと思います。中継局によって番組は色々あるようです。
2008年06月19日
子どものSOS=おとなのSOS
ちょっとラジオを聴いていて…今さらながらですが「学級崩壊」なんてコトバを聞くようになって、もうだいぶ経ちますが、いまなお学級崩壊の話を耳にします。学級崩壊、なんかすんごいコトバです。僕の小学校時代には考えられないコトバです。(私1971年生まれ)
まぁでも、中学高校くらいは結構荒れていたヤンキー時代であったようにも思います。^^
ごく最近聞かせてもらった話だと、4クラスのうちの2クラスが学級崩壊に近い状態だと…それも、近くの小学校がです。ひえ~。。。先生のメンタル面の問題の話もよく聞かせてもらいます。今先生って大変です。負荷が大きすぎだわ。一人の人間の限度ってあると思うぞ。
ちらほらと聞いてはいましたが、こんなにも身近なところで沢山起こってるんだなぁと驚きです。以前はちょっと都会というか一部の問題のようではありました。こういった学校の現状に、実体験として携わったことはないので、実際どのくらいのものなのかあまりピンと来ないのですが、話を聞かせてもらうと、まぁびっくりすることは多いです^^;
以前市で相談員やスクールカウンセラーの話を直接担当の方から聞かせてもらいましたが、そりゃ、無理があるって感じでした。対応遅いわ。各学校に1人って。。。orz
無理があるって思っていますが、こちらとしてはなんとも… (役所の決まりでは仕方ないんですよね。)
臨床心理士(スクールカウンセラー)は、週一回・数時間。。。給料は相談員よりはるかに多い。。ちょっとこのスタンスには、まいる

それでも、スクールカウンセラーが少ないから、それはそれで大変らしいけど。
相談員はもっと大変らしいですが。。。
もちろんこういった対応だけで解決にはならないのだろうけどね。対策としては必要不可欠になってきてるんじゃないのかな。もう少しこういった方面への予算を組んでもらえるといいんだけど。
教育スタンスが変わったというのも原因の一つとして挙げられるでしょう。僕らの年代より5つくらい下の年代から、変わったらしい。確かに、幼児教育などに変化がみられたと思います。このへんは、また見直しが行われているようですが。
自由という扱いや平等というものの考え方に過剰だったり固執しすぎたのかなとも思ったりもします。
研究者ではないから、そのへん主観的ではありますけど。
情報が多すぎて、部分的な熟成が早いということも、あげられていますね。
世代の移行ということを考えると、いま学級崩壊という状況は、どのように反映されていくのだろうかと考えることもありますが、世の中はそれなりに行くんでしょう^^
今の若いもんは…とは代表的なよくいわれた言葉
僕も会社員時代に言われましたねぇ。しかし、若いもんをつくっているのは、若いもんと言う世代でもあるんですよね。これ面白いもので。
自身も今現在の時代を同じような目線で生きれば、たぶん結局変わらないんですけど。いつの時代も出てくる言葉なのでしょう^^ 言われていた私ですら、結局思うんですから。
河合隼雄さんのカウンセリングの本にも、今は時代のギャップというのがいろいろと妙な感じで大きく影響しているというようなことが書かれていますが、自分もやはりそれは感じます。
時代は常に変化していくものだから、もうそれは仕方ないものなのでしょうけど。
現代というのは大人と子どもの境界線があまり無くなってきているというのもあるのかな。発達や成長といったものは、ある一定の法則のような流れがあるから、それが崩れるとダメなんじゃないだろうかなと考えています。原始的な生活をしている部族というのは、大人と子どもの境界ははっきりしています。だから、子どもは大人を目指すのだと思いますし、大人というのもそれなりの伝統というのか秩序を持っています。いまは、それがイマイチ少ないなぁと思います。
それでもそういう部族にも世代間ギャップあって、やはり少しずつ変化しているんです。でも、欧米の文化が入ってくるからなんですけどね。
子どもは、なんとなくそういったことを分かっているのかもしれません。もし何かしらの宇宙の法則があるとして、子どもが子どもという本来の流れから外れれば、どこかしらに警告、SOSを発することになるのではないでしょうか。
AC(Adult Children/アダルトチルドレン)などの問題もありますし、ちょっと別物ですがインディゴチルドレン、クリスタルチルドレンといったのもありまして、いろんなチルドレンがおるんですw
ACは別として、それはそれでまあ、都合の良い大人の解釈とも思える部分でもあり、よく分からないところでもあります。
しかし、子供という時代、そして成長過程というものには、発達心理にいわれるように、時期に応じたそれなりの意味というのがあるんだと思います。そしてその成長過程の飛び級はできないもので、どこかそれなりに表れるように思います。だから、それぞれの時代に応じてそのプロセスを踏んでいかなければ、おかしなところでそれが入れ替わったりして表れるから、おかしなことになるんかもしれません。
日本だけでなく、世界各国が考えています。欧米では芸術療法的なアプローチが取り入れられつつあるようですが、日本の現状は遅れているようです。シュタイナーの考え方とか好きだけど、いまの日本の社会だと土壌が違うからどうなんだろうかとも思ったり。体制も変わらないとなぁ。
卵が先か鶏が先か。。。
子どもは大人に何を見、大人は子どもに何を見るのか。
僕には子どもがいないけど、実際いたら、また違った見方になるんだろうなぁ。
やはり客観性を持って、見ていくことは難しくなるんだろうなあ。
2008年06月17日
気の実

私は、仕事でときどき気を使います。

いわゆる気功的な気ですが、この「気」、これなかなか上手い表現がないんですよね。
オーラとかプラーナとかエネルギーとか波動とか色々あるけど、しっくり来るのはやはり「気」というコトバ。じっさい気には違いないとは思うんだけど、日本語には「気」の付く言葉もいっぱいあって、何を表す言葉なのかイマイチ分かりにくい。。。
気とは云えども気とは何か、、、
ちょっと気の利いた話ではありませんか?^^ え?気疲れしそう? いえいえ気楽に行きましょう。
いまの、あなたの気持ちはいかがですか? ほうほう気持ちがいいですか、ほうほう悪いですか。
なんとなく気のない返事に、どうも気が置けずに、気が気でない。
気持ちばかりが焦ってしまって、気負ってしまう。もっと気ままにのん気にいけると、なんて。。。
そんな自分に嫌気がさして、ちょっと弱気ではいけないぞと強気で気丈に色気を使っては見たが、ああ気色悪い。でも、そんなところが気に入った!
気というものは見えないものであるはずなのに、ものすごく見えない世界に支配されている私たち。
日本人は割合、気とともに生活してきた。東洋思想では重要な部分です。欧米にはあまりこのような表現はないそうです。気に相当する表現は、少ないと思います。欧米か!とは行きません。
上文でも「気」のつく部分、何気に使いますが、そこには答えのないものばかり…^^
気を使うとは言いますが、思考を考えを意識を使うとは言いません。では何を使うのか…
私たちは、気を当たり前のように感じているのであり、私=気でもあるかのようです。にもかかわらず、案外「気」というものを認識していないのではないでしょうか。
何が「気」かその答えがないものでもあり、気というコトバを多様に使うので、あやふやなものになっておりますが、それでもそれを使いこなす日本人はすごいと思います。
私が時々使う気も、何なのかはよく分かりません。でも、分かっています。
不思議やなーってよく言われます。自分でも不思議。私の場合はヴィジュアルとして感じれます。体に触れるとピーッと電気が通るようなラインのような流れのようなものが見えるように感じます。
患部というか滞りのような物(ブロックといいます)のある部分は、影っぽかったり、点滅するように見えたり、流れが止まったりします。
または、オーラというか、体表面から離れた場所にあるものも感じます。それは、密度の違いというか比重の違いのように感じます。
で、「誰にでもあるもんなんですよ」と話すと、時々言われます。「私はそういうの無いで無理。」
気が分からないのは分かりますが、無かったら、死人ですよって笑い話
ただ、得て不得手はあると思います。走ったりするのと一緒です。早くなりたければ鍛えればいいだけです。だれにだって、あるんですよ。気付いていてもそれをそうと知らない方も多い。私もその一人でした。
で、この「気」に気付けたら、結構ハッピーなことも多いんです。
ということで、ちょっとリコネクトした私は、ワークショップをすることにしました。伝えるのは、私の役割なんです。
2008年06月15日
明日天気にな~れ

夏のことわざに、「子どもが騒ぐと、雨」というのがあるそうです。
どういうことかというと、低気圧が近づくと人や動物の生理作用や自律神経に影響を及ぼすことから、自制心弱い子どもは、イライラして騒がしくしてしまうということを表しています。カラスが騒ぐとというのもあるようですね。
人に限らず生き物の行動は、天候に左右されることが多くあります。しかし、それがどういったメカニズムなのかは未だ分かっていません。私たちの生活サイクル・バイオリズムは、自分たちが感じている以上に、地球的宇宙的影響の下で成り立っているのだろうと思います。
私たちは自分たち自身で生命活動を営んでいると思い込んでおりますが、実際は違うのかもしれません。
私たちは一つの固体ではなく、多くの細胞たちの集合によって成り立っています。
仮に地球を私たち個人として考えてみると、われわれは細胞の一つとも考えられます。宇宙から見れば地球もまた細胞の一つです。とすると、宇宙=地球=私自身、と考えることも出来、一見多様なように思えても、実は一つの現象に過ぎないとも言えるのかもしれません。
ややこしや~^^ こんなこと考えるのも人だけかもしれませんが…それはさておき、
天候による影響というのは、気圧の影響や電磁波のような電気的な影響があるかと思うのですが、肉体面・精神面に様々な形で現れます。しかし、これらはまだはっきりとしたものではない為に、様々な説としてや多少オカルトっぽい話として扱われることがほとんどでしょう。
そうでなくとも、悪天候というのはあまり気分の良いものではないですよね。さわやかな雨というのもありますけどね。
降ってしまうとそれはもう仕方がないですし、気圧や電気的な影響も少なくなると考えられます。
気圧の影響は比較的わかりやすいものでしょう。実際科学の実験で、風船を使って内圧と外圧の変化で、風船が膨張したり縮んだりするのは、見たことがあるかと思います。
よく天気が悪くなると膝が痛むとかありますが、気圧の関係で関節内圧に影響が出て、圧迫感を生じたりする為の症状ということも言われています。
天気の悪化によって、耳鳴りや頭痛、めまいなどの症状を感じる場合も内圧の変化によるものが多いと思われます。この場合は内耳および平衡器官の影響が多いです。
もちろん血管なども圧力の変化に影響を受けるだろうから、血圧の変化にも影響が出てくるでしょう。
天候によって、体調の変化を感じるという話をよくお聞きします。
ただし、みんなに出るわけではなく、その時の体調や個人の体質によるものもあるので、確定データが得られないという難しさがあります。
分かりにくいのは、電気的影響。
生き物は非常に電気的ですので、電気の影響はさまざまに現れてくるのですが、一番つかみ所がないところでもあります。主に神経系統に影響を与えるので、主にメンタリティー・精神的な影響として現れると思います。また、神経系ですので、ホルモン及び内分泌系にも現れ免疫にも影響すると考えられています。もちろん筋肉の動くメカニズムにしても電気的な作用なので、肉体にも影響はあるでしょう。
低気圧というよりは気圧の境目には、この電気成分が多いので、生理作用や自律神経に影響を及ぼしやすいということになり、上記のことわざのようなことが言われるようになったのだと思います。
子どもに限ったことではないですよね。

天候に限らず、地質によるもの宇宙からのものなど、この電気的な影響というものは自然界に多く存在していますし、それらが健康などに与える要素として非常に大きなものではないかと考えています。
ただ電気というのかなんというのか、それらは目に見えない力ですので、分かりにくいと言えば分かりにくい。しかし、それは存在する。
何かこう考えると、なんともしようがないようにも思えますが、電気的な影響に関しては、悪いことばかりでなく良いこともありますので、一概に心配することもありません。良い方向に使うというのが、いいのかな?その鍵を握るのがオーラというのでしょうか生命エネルギー場というのでしょうか、そういうもんだと考えています。そしてそれは非常に地球の状態と同じようなものなのです。それはまた。。。
2008年06月14日
電化製品の異常!?

岩手に大きな地震が来ました。
わたしは地震予測を研究していまして、仲間うちの連絡でも2~3日前から、電磁波の動きが出ているという情報をやり取りしていました。昨日はうちの電磁波計測器でも高い値をいくつか出していました。
ミエワンブログ内でも、いくつか家電の誤作動が見られたようです。
電磁波によって電気製品に誤作動が現れるのは、言われていまして、現在いろいろなところが研究しています。ただし、絶対に異常が起こるというのではないので難しいものです。

むかしから、地震前兆に関してはいろいろないわれがあります。
地震雲や動物などの異常行動などです。
昨日の場合は、悪天候だったのが、すごい好天になったりという天候変化もあったし、その少し前くらいから、夜半にカラスが騒がしかったり、犬がよく吠えていたり(今回は我が家の犬はふつうでした)というのが見られていました。
ただ目立った地震雲は見られませんでしたので、この辺には来ないであろうことは予測できました。
今回は千葉より上あたりが怪しいと言う予測は立てていましたが、いつ来るのかとか、はっきりした場所とか予測はほんとに難しいです。
わたしは天候(気圧の動き)と電磁波との関係から見たりします。
今回のも天候に表れているように思いました。
こういう話は不安をあおりやすいので控えていますが、見方に興味のある方はメールください。
ただ、やはり気になるのは、いつもながら不安を煽るマスコミの報道には、遺憾に思います。
地震情報以上の情報は不要ではないだろうか。。。
地震が怖いのは分かってることです、道路状況などの交通や通信状況など必要な情報だけでよいのでは?NHKまで民放みたいなことしないで欲しいものです。今後の動きには、注意ですね。
2008年06月07日
くわまつり
桑の実のドライは失敗に終わったorz…
天候イマイチ、カビがついていまった。日本の気候でドライは難しい。
たわわに実ったジューシーなやつが、やっぱおいしい。
熟れ過ぎるとうまくない、何か風味もなく水っぽい、早くいただきましょう。
どしどし茂った枝をバッサバッさと刈り込んで、来年またよろしく。
古い葉っぱはお茶にします。ヨモギやスギナと同じように、洗って干すだけ。好天に期待。
新しい新芽や葉は柔らかく、食べられるんじゃない?
ということから、
軽く湯がいて(割とあくがあるんだわ)、水にさらして、よくしぼり、細かめに刻んで
ゴマダレ+マヨネーズ+ラー油+すりゴマで和えてみた。(適量)

うまい!!
思った以上の旨さだ。我ながら上出来。
桑の葉自体、ほんのりと甘みがあって癖がなく、豆っぽい風味なので、ごまとよくあいます。
すりゴマのプチプチ感と茎部分の少しこりこりした感じが、食感を高めてくれます。
これでまた、食糧難を生き残れそうです
天候イマイチ、カビがついていまった。日本の気候でドライは難しい。
たわわに実ったジューシーなやつが、やっぱおいしい。
熟れ過ぎるとうまくない、何か風味もなく水っぽい、早くいただきましょう。
どしどし茂った枝をバッサバッさと刈り込んで、来年またよろしく。
古い葉っぱはお茶にします。ヨモギやスギナと同じように、洗って干すだけ。好天に期待。
新しい新芽や葉は柔らかく、食べられるんじゃない?
ということから、
軽く湯がいて(割とあくがあるんだわ)、水にさらして、よくしぼり、細かめに刻んで
ゴマダレ+マヨネーズ+ラー油+すりゴマで和えてみた。(適量)
うまい!!

思った以上の旨さだ。我ながら上出来。
桑の葉自体、ほんのりと甘みがあって癖がなく、豆っぽい風味なので、ごまとよくあいます。
すりゴマのプチプチ感と茎部分の少しこりこりした感じが、食感を高めてくれます。
これでまた、食糧難を生き残れそうです
2008年06月05日
Dideridoo 太古の音色

Dideridoo、ディジュリドゥと読みます。
オーストラリアの原住民アボリジニに伝わる不思議な楽器で、地を這うような低音に倍音を含む音質が特徴的です。
この楽器の起源はとても古く、数千年前もしくはそれ以上前から存在しているとされていて、おそらく吹奏楽器の原型であろうと考えられています。独特の演奏方式など、いまだ謎の多い楽器です。オーストラリア先住民族の重要な文化の一つです。
文字を持たない文化だったためか、その文化のほとんどは、ドリーミング・ストーリー(詩)などによって口伝えで伝承されてきたようです。
「ディジュリドゥ」は、先住民族の呼び名ではありません。
本来はイダキ(Yidaki)と呼ばれることが多いですが、部族によってまちまちです。
あるストーリーでは、
伝説の戦士「イダキ」が最初にディジュリドゥを吹いた人とされています。
戦士イダキは死後、精霊となってディジュリドゥの中に住んでいるとされており、ディジュリドゥの吹き口に耳をつけると、彼が演奏している音(魂)が今でも聞こえると言われています。 力の象徴とも捉えられます。部族によって違いますが、ほとんどの場合、女性は使えません。
なぜ、ディジュリドゥなのか、、、この楽器の音色が「ディジュリドゥ〜、ディジュリドゥ〜」と聞こえた為に、後に白人によって命名されたものなのです。
よくある話ですね。

楽器の形状は、ただの筒。白蟻が中心部のやわらかい所を食べて空洞になったパイプ状のユーカリの木で出来ています。ユーカリといっても実は600種類くらいもあるんですが、白蟻はブラッドウッドやウーリーバッド等、特定の種類しか食わないのです。

楽器自体も特徴的ですが、独特なのはその演奏方法。
基本は、ラッパのようにブ〜っとやるだけなのですが、それを循環呼吸法(サーキュラー・ブリージング)と呼ばれる呼吸によって、音を途切れることなく吹き続けます。
吹きながら、息を吸うんです。聞いただけではなんのこっちゃかもですが。
これはちょっと練習が必要です。
そしてトーキングという技法。ブ〜としながら声を入れます。
これらを組み合わせて、様々な情景や動物の鳴き声などを模写して演奏します。
吹く楽器ですが、メロディはなく、どちらかというと打楽器のようなリズム楽器に当たります。面白いことにオーストラリア先住民には太鼓がありません。
ヒーリングブログですので、ここからが大事なポイントなのですが、、、
ディジュリドゥの音色には、人間の耳には聞こえない高調波成分(倍音)が含まれ、聞く人の脳波をアルファー波に誘導する効果があると、近年の研究で注目されています。
アルファー波状態とは、リラックスした時の脳波で、各人保有の潜在能力を引き出す効果があるとされており、脳波がアルファー波になると人間が本来持っている自然治癒力と免疫力が向上しますので、癒しの効果があるのです。
また、循環呼吸法が腹式呼吸を促すので、新鮮な空気を取り入れることになり血行がよくなり、胃腸の働きも活発になるため、新陳代謝の機能が向上し、細胞が生き生きとなってきます。呼吸が効果的な健康法であることは言うまでもないくらいです。

音の振動波によってもリラクゼーション効果があります。
インドネシアの方には、ユーカリではなく竹を用いてですが、ディジュと同じ奏法で、その音を患部に当てるという治療が行われているそうです。
わたしも実際この手法を用いてヒーリングを行うこともあります。
すごく良いらしいのですが、これは裏メニューです…
僕自信やってもらいたいのだが…
誰か、マスターする気ないですか?

ディジュリドゥは、ヒーリングツールとしてとても有効なのです。
個人的な話ですが、
最近はあまりディジュリドゥの活動をしていなかったのですが、以前は国際交流関係や幼稚園、ワークショップなどいろいろな所で演奏活動していました。
ポルノグラフィティと共演させてもらったこともww

かつてのポルノグラフィティと…わたし左から2番目
またワークショップなど、はじめようかと思っています。
音量があるので、どこでもというわけにいかないのが難
2008年06月03日
シリーズ-らくがきのモノイイ(ⅲ)
気分的に疲れていたせいもあってか、ひさしぶりに何か描いてみたいという気になり、画用紙に向かってみた。
画材は、パステル。
指で擦ったりして、ぼかしてホワワ~とした雰囲気をだせるので面白い画材です。写真ではぼやけ感がイマイチでませんでした。
何か描こうと思ったものの、いざ画材を前に何も浮かばない。。。おかしいなぁ。描く気はあるのに。。。
何も考えず、とりあえずはじめようということで、つかんだピンクのパステル。
描き始めてパステルを画用紙にクリクリクリクリ…
それを指で伸ばしてクリクリクリクリ…
その画面を見つめながら、だんだんと大まかなイメージが頭の中に浮かんできます。(同時にいろんなことを考えてます)
次は緑、次は黄色…イメージに沿って進めていきます。イメージも少しずつ変化していきます。
夕焼けのような日の出のような雰囲気になってきました。
チョコチョコ修正しながら、できあがり。

とくに思うものも無く、なんとなく仕上がったものを眺めながら、かなり以前に描いた絵を思い出した。
そのときの画材は水彩、ボールペン。
プロセスも画材も違うけど、なんとなくその時の絵とよく似ている感じがする。
その時もよく似た気分の時に描いたのだけれど、今回の方が画材のせいもあり、柔らかな印象がありました。その画材をチョイスしたのも何か意味があったのでしょう。
いざ描くと似たような印象になる傾向があるんだろうなぁ、好みかなぁ^^。

▲以前のもの
自分がすごく何を言いたいのかは分からないけれど、すっきりして考えがまとまってきます。
以前もそうでした。その時はもっと具体的に、考えが出ていたように思い出されます。
その絵というか「らくがき」を眺めていると、潜在的な部分では何かを分かっていると思います。
らくがきは、心模様を写し取るようなものかもしれません。
らくがきを後々眺めてみると、その時の状態などがなんとなく感じれます。
何で、こんなもの描いたんかなーと思いつつも、そうそうあの時…なんて思い出にひたったり^^
心模様は、まさに模様みたなものなのかもね。
今回のような漠然とした描き方のものもありますが、曼荼羅アートのような決まった形状に沿って色塗りしていくだけでも、とっても面白いですよ。
性格が出ます。出来上がったものから考えていることを分析してみると、自分の意外な一面に出会うこともあります。
さあ、あなたはどんな模様を描くのでしょうか。
画材は、パステル。
指で擦ったりして、ぼかしてホワワ~とした雰囲気をだせるので面白い画材です。写真ではぼやけ感がイマイチでませんでした。
何か描こうと思ったものの、いざ画材を前に何も浮かばない。。。おかしいなぁ。描く気はあるのに。。。
何も考えず、とりあえずはじめようということで、つかんだピンクのパステル。
描き始めてパステルを画用紙にクリクリクリクリ…
それを指で伸ばしてクリクリクリクリ…
その画面を見つめながら、だんだんと大まかなイメージが頭の中に浮かんできます。(同時にいろんなことを考えてます)
次は緑、次は黄色…イメージに沿って進めていきます。イメージも少しずつ変化していきます。
夕焼けのような日の出のような雰囲気になってきました。
チョコチョコ修正しながら、できあがり。
とくに思うものも無く、なんとなく仕上がったものを眺めながら、かなり以前に描いた絵を思い出した。
そのときの画材は水彩、ボールペン。
プロセスも画材も違うけど、なんとなくその時の絵とよく似ている感じがする。
その時もよく似た気分の時に描いたのだけれど、今回の方が画材のせいもあり、柔らかな印象がありました。その画材をチョイスしたのも何か意味があったのでしょう。
いざ描くと似たような印象になる傾向があるんだろうなぁ、好みかなぁ^^。
▲以前のもの
自分がすごく何を言いたいのかは分からないけれど、すっきりして考えがまとまってきます。
以前もそうでした。その時はもっと具体的に、考えが出ていたように思い出されます。
その絵というか「らくがき」を眺めていると、潜在的な部分では何かを分かっていると思います。
らくがきは、心模様を写し取るようなものかもしれません。
らくがきを後々眺めてみると、その時の状態などがなんとなく感じれます。
何で、こんなもの描いたんかなーと思いつつも、そうそうあの時…なんて思い出にひたったり^^
心模様は、まさに模様みたなものなのかもね。
今回のような漠然とした描き方のものもありますが、曼荼羅アートのような決まった形状に沿って色塗りしていくだけでも、とっても面白いですよ。
性格が出ます。出来上がったものから考えていることを分析してみると、自分の意外な一面に出会うこともあります。
さあ、あなたはどんな模様を描くのでしょうか。