2008年06月17日
気の実

私は、仕事でときどき気を使います。

いわゆる気功的な気ですが、この「気」、これなかなか上手い表現がないんですよね。
オーラとかプラーナとかエネルギーとか波動とか色々あるけど、しっくり来るのはやはり「気」というコトバ。じっさい気には違いないとは思うんだけど、日本語には「気」の付く言葉もいっぱいあって、何を表す言葉なのかイマイチ分かりにくい。。。
気とは云えども気とは何か、、、
ちょっと気の利いた話ではありませんか?^^ え?気疲れしそう? いえいえ気楽に行きましょう。
いまの、あなたの気持ちはいかがですか? ほうほう気持ちがいいですか、ほうほう悪いですか。
なんとなく気のない返事に、どうも気が置けずに、気が気でない。
気持ちばかりが焦ってしまって、気負ってしまう。もっと気ままにのん気にいけると、なんて。。。
そんな自分に嫌気がさして、ちょっと弱気ではいけないぞと強気で気丈に色気を使っては見たが、ああ気色悪い。でも、そんなところが気に入った!
気というものは見えないものであるはずなのに、ものすごく見えない世界に支配されている私たち。
日本人は割合、気とともに生活してきた。東洋思想では重要な部分です。欧米にはあまりこのような表現はないそうです。気に相当する表現は、少ないと思います。欧米か!とは行きません。
上文でも「気」のつく部分、何気に使いますが、そこには答えのないものばかり…^^
気を使うとは言いますが、思考を考えを意識を使うとは言いません。では何を使うのか…
私たちは、気を当たり前のように感じているのであり、私=気でもあるかのようです。にもかかわらず、案外「気」というものを認識していないのではないでしょうか。
何が「気」かその答えがないものでもあり、気というコトバを多様に使うので、あやふやなものになっておりますが、それでもそれを使いこなす日本人はすごいと思います。
私が時々使う気も、何なのかはよく分かりません。でも、分かっています。
不思議やなーってよく言われます。自分でも不思議。私の場合はヴィジュアルとして感じれます。体に触れるとピーッと電気が通るようなラインのような流れのようなものが見えるように感じます。
患部というか滞りのような物(ブロックといいます)のある部分は、影っぽかったり、点滅するように見えたり、流れが止まったりします。
または、オーラというか、体表面から離れた場所にあるものも感じます。それは、密度の違いというか比重の違いのように感じます。
で、「誰にでもあるもんなんですよ」と話すと、時々言われます。「私はそういうの無いで無理。」
気が分からないのは分かりますが、無かったら、死人ですよって笑い話
ただ、得て不得手はあると思います。走ったりするのと一緒です。早くなりたければ鍛えればいいだけです。だれにだって、あるんですよ。気付いていてもそれをそうと知らない方も多い。私もその一人でした。
で、この「気」に気付けたら、結構ハッピーなことも多いんです。
ということで、ちょっとリコネクトした私は、ワークショップをすることにしました。伝えるのは、私の役割なんです。